朝から闘志が充満している対局室

NHK将棋講座2006年7月号、朝日オープン選手権五番勝負第3局(羽生善治朝日選手権者-藤井猛九段戦)観戦記、内藤國雄九段の「悪手は2度続く」より。

 午前10時5分前、羽生善治朝日選手権者と藤井猛挑戦者は、番を挟んでまず会釈を交わした。

 上席の羽生三冠がおもむろに駒箱に手をかけ、駒が並ぶと再度頭を下げ合って対局開始。

 緊張の中に、すがすがしい空気が漂う大勝負前の5分間が私は好きである。

「将棋は礼に始まり礼に終わる」といわれているが、昔はどうだったか。たとえば”マキ割り大五郎”と呼ばれていた佐藤大五郎さん(九段)との大きな一番で、こういうことがあった。朝、対局室に入ると大五郎さんは盤の前で両手を突いて、走り競争のヨーイドンの姿勢で固まっている。額には大きな(頭熱を吸い取る)膏薬を張っていて、闘志を部屋中に充満させていた。夜戦に入ってから膏薬を張る棋士は何人もいたが、対局前から張られたのはこのときだけである。

 ”火の玉流”の有吉道夫さん(九段)とのA級順位戦では、私が2、3分遅刻して入室すると、驚いたことに有吉さんは自分の駒だけ20枚並べて顔を真っ赤にして盤の一点をニラミつけていた。わき上がる闘志を抑え切れないといった感じで、それを見た私も負けずに燃え上がったものだった。「あいさつもへちまも関係あるかい」と互いに闘志を燃やして戦った若いころが、今はなつかしい。

(以下略)

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膏薬は貼り薬。以前、1989年12月のB級1組順位戦で石田和雄八段(当時)がアイスノンを鉢巻き代わりにしていたことを紹介したが、それより前に膏薬を額に張っていた棋士が何人もいたとは・・・

頭を冷やす道具を使った元祖はエジソンバンドの間宮久夢斎七段だが、エジソンバンドも額に当てるものだった。

丸山忠久九段の冷却ジェルシートの新手たる意義は、額ではなく頭頂部に貼るところにあるということになる。

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有吉九段は駒を並べるとき、盤の升目の下のラインと駒の下辺が重なるくらいの位置に駒を置いていた。燃え上がる闘志を少しでも抑えるためだと有吉八段(当時)は1972年の将棋世界で語っている。

火の玉流の語源には棋風の意味もあるだろうが、内藤九段が書いたこの話は、”火の玉流”を体感できるほどの迫力がある。