将棋世界2002年11月号、中田功六段(当時)の自戦記「自分らしく」より。
私は12歳の時、小学校を卒業して博多から上京してきた。
「東京に行けば俺より強い奴がいっぱいいるんだ!」
そう思っただけでドキドキワクワク、早く強くなりたいと毎日思っていた。
そして上京する日、新幹線に乗った私に父が言った言葉は今でも忘れない。
父「功、酒とたばこと麻雀は絶対やるなよ!」
はあ? 何じゃそりゃ。12歳の私には元から何のことやらさっぱり分からない。
「父は何であの時あんなこと言ったんだろ?」
それだけが私の疑問としてずっと頭に残った。
果たして、長年の謎を解明すべく結局全部覚えてしまった。父の予感は見事的中したのだ。あう。逆効果だよ親父・・・・・・。
あの時から23年経つ。四段には18歳でなった。それからC2に7年、C1は10年目になる。もう勝つことにも負けることにも慣れてしまった。未だに私の周りは強い奴ばっかりで、しかも前より増えている気がする。うーむ。
(中略)
私は対局中、心掛けていることが一つある。それは自分らしい将棋を指すことだ。
棋士になった時感じた。将棋ができる場所と時間があり、指したい相手がいる。それだけでとても幸せなことだと。
でも本当にそれだけで満足してしまった。今まで好きなこと、楽しいことしかやらず、将棋の勉強をしたなんて記憶はもう浮かんでこない。
朝起きて鏡を見てびっくりしたことがあった。
(父が私を見ている!?)
父は去年亡くなった。私の順位戦の成績だけを気にしながら最後まで酒とたばこをやめなかった。対局の日の朝、父に似てきた自分の顔を見つめる。「父さん、僕はもうあんまり強くはなれないかもしれないけど俺らしくやってくるよ」。
今のありのままの自分、生き方考え方、喜怒哀楽全てを将棋なら表現できる。そしてやはり勝ちたい。勝てば父の喜ぶ顔が浮かんでくる。
(中略)
私は子供の頃から振り飛車党で特に三間飛車が大好きだ。この戦法が一番自分の性格に合っていて後手三間などは駒組みが一手遅れ気味な所も私らしいと思ったりする。奨励会の香落ち上手も三間飛車ばかりだった。軽く捌いて終盤玉頭戦で勝負、B型の獅子座プラス九州男児、調子に乗るとどこまでも行ってしまう反面、悪くなるとあっさり大差で投了もよくある。
(中略)
さて最近の私の趣味はと言うと草野球、スロット、お酒。朝から順番にやれば一日が終わる仕組みになっている。うーむ将棋の勉強はいつだろう? 本誌を読むぐらいか。月に何日もないな。うーん。
ただ新聞は毎日読んでいる。喫茶店で何紙も読み比べていつもいろんなことを考えるようになった。そのおかげかどうか対局をやっている時もいろんな角度から客観的に見れるようになった気がする。
今まで私はいつもマイペースだった。当然これからもマイペースだろう。でももっと自分らしい将棋を指したいと思う。今までよりちょっとだけ・・・・・・・・・頑張るぞ!
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中田功七段らしさが表れた文章だ。
お父さんとの心の中での会話など、涙が出てしまいそうになる。
中田功七段の将棋は、一目見れば中田功七段とわかるような個性溢れる将棋だ。
”自分らしい将棋”は実践され続けている。
→「あれはね、ここ三年間、私の見た将棋のなかでいちばんいい手だよ」と語られた一手
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「○○と△△と□□は絶対やるなよ」と言われると、その時は当然そうだと納得していても、その後に意識的あるいは無意識にやってしまい、それが習慣性を持ってしまうということは数多くありそうだ。(もちろん非合法ではないこと)
私などは、高校生までは酒、大学2年まではタバコ、は最も忌み嫌う物だった。
人に言われないまでも、自分の中で一生やらないと鉄板の意志を持っていた。
しかし、、そのような意志など豆腐よりも軟らかく、紙よりも薄かったことを後になって知ることになる。