将棋マガジン1995年9月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。
☆兄弟弟子(対局終了後)
内藤九段「淡路君、もう帰るんか?」
淡路八段「はい」
内藤「ほな、一緒に帰ろう」
淡路「はい。でも先生、雨がだいぶ降ってますよ」
内藤「・・・・・・雨が降っとっても家には帰らなあかんやろ」
(一同爆笑)
その数分後、将棋連盟の前でタクシーを止める淡路先生の姿があった。
内藤先生は軒で雨やどりしているのだろう。弟弟子はつらい・・・。
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将棋マガジン1996年1月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。
☆チャレンジ
下野二段「テレビで見たんですけど羽生先生って畠田理恵さんに猛チャージかけたんですね。電話とかで」
淡路八段「かけんと始まらんやろ」
タマ「おお―、淡路先生、その言葉深いですね」
淡路「そら、そや。なんでもやってみん事には、どうにもならんやろ。将棋かて、どんだけ悪うてもずーっと指している内に、おかしなってくる事もあるんやから、なんでもやってみんとあかんで」
下野・タマ「ウーム、深い」
(確か淡路先生も奥さんと結婚される時は・・・)
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「雨が降っとっても家には帰らなあかんやろ」も「(猛チャージを)かけんと始まらんやろ」も、考えてみれば当たり前のことなのだが、言われてみると名言に聞こえてしまう。
この辺が、間(ま)と呼吸の妙なのだろう。
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「かけんと始まらんやろ」と同じような意味で、「やらずに後悔するより、やって後悔した方がまし」、「宝くじも買わなければ当たらない」という言葉が昔からある。
一方、正反対ではないものの、やや逆の意味の「出る杭は打たれる」、「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉もある。
いろいろな角度や立場での言葉が様々あるから面白いのだと思う。
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弘法大師関連には、「弘法筆を選ばず」と「弘法も筆の誤り」のことわざが存在する。
阿刀田高さんの著書に、「弘法は筆を選ばないから、筆を誤る」とあって、素晴らしい発想だと感じたことがあった。