渡辺明竜王は、五段の時に竜王戦に挑戦して竜王を獲得。それ以降、渡辺明○段という呼ばれ方はされていないが、昇段履歴を調べてみると以下のようになっている。
四段から五段まで3年、(順位戦C級1組昇級)
五段から六段まで1年半、(竜王挑戦)
六段から七段まで1年(前年の竜王位獲得による)
七段から八段まで48日(竜王1期、昇段規定改定による)
八段から九段まで13日(竜王2期、史上最年少九段)
竜王戦に関わる昇段規定改定による影響が大きいが、七段、八段の時期が非常に短い。
「ああぁ、八段になったんだなぁ」というような感慨の時間が短かったわけだが、これは短ければ短いで嬉しいことかもしれない。
一方の羽生善治二冠は次の通り。
四段から五段まで2年4ヵ月、(順位戦C級1組昇級)
五段から六段まで1年半、(竜王挑戦)
六段から七段まで1年(前年の竜王位獲得による)
七段から八段まで2年半(順位戦A級昇級)
八段から九段まで1年(タイトル3期、前年に達成していたが、この頃は1年以内の飛び昇段ができない規定だった)
当然のことながら二人とも超スピード昇段だ。
両者とも、六段になってから二ヵ月以内に竜王を獲得して、その後タイトル無冠の時はないので、理論上、「七段 渡辺明」、「八段 渡辺明」、「七段 羽生善治」、「八段 羽生善治」という色紙は、未来永劫、世の中に存在しないものと思われる。
—–
この二人と並べたらバチが当たるが、私もスピード昇段をしたことがある。
1987年7月25日、久々に将棋でもやってみようという気になった私は、当時、連盟道場で行われていた免状獲得戦に出てみることにした。
免状獲得戦は、2000円だったか3000円の料金を支払うと、道場に来ているお客さんと手合いを付けてくれて、5勝なら無料で免状獲得、4勝1敗なら半額で免状獲得(4勝1敗を2回連続で続けると無料で免状獲得)、3勝2敗なら正規料金で免状獲得できるというもので、月に2回(土曜日)開かれていた。
中学卒業以来、将棋をやっていなかったが、腕試しのつもりで初段コースに臨んだ。
結果は3勝2敗。
免状は申請しなかったが、「なるほど初段の実力はあるのか」と嬉しくなった。
千駄ヶ谷の将棋会館に行くのは、その時が初めてだった。
それから連盟道場に通い出すようになる。
そして、初段で指していると結構勝率が良かったので、二段コースにもチャレンジすることにした。
8月下旬の免状獲得戦では4勝1敗。
半額で免状は取得できたが、この次もう一度チャレンジしようと考え、免状は申請せずにニコニコしながら夜の巷へ。
その時使ったお金が、二段の免状取得料の半額くらいだったので、「これじゃ意味ない」と後で愕然とした。
そして、絶対に無料で免状を獲得しようと思い臨んだ9月9日の免状獲得戦は、4勝1敗。
4勝1敗が2回で、晴れて無料で二段の免状を獲得できることとなった。
免状は、会長 十五世名人 大山康晴、名人 中原誠の署名だった。
初段から二段まで46日。
嬉しかった。
—–
免状獲得戦は、おまりにも気前の良すぎる企画だったのか、その後、間もなくなくなったと思う。
—–
1989年、その頃の私は、家にもっと近い渋谷将棋センターへ通うようになっていた。
畳で脚付きの将棋盤。有段者が多く来ている道場だった。
二段で指していて、勝率は悪くなかった。
ある土曜日、土曜トーナメント(二段以下組)に出た。
1回戦に勝つと、席主の北山和佑さんが「おめでとうございます。三段に昇段です」。
規定の勝ち星をあげたので昇段ということだった。
そろそろかなと思っていたので嬉しかった。
その勢いか、トーナメントでは優勝。
そうしたら、また北山さんが「「おめでとうございます。四段に昇段です」。
連勝数が昇段の規定とピッタリだったので、二段以下の人達と三段格の手合いで指しているうちに四段になってしまったのだ。
味が悪いような、いいような、とても微妙な気持ち。
三段から四段まで数時間の、超スピード昇段。
—–
その後、四段で指して、勝率は4割5分くらい。やはり弱い四段だった。
三段で指していれば、もう少し楽しめたのかもしれない。
そういうこともあって、人から棋力を聞かれた時には「強い三段、弱い四段」と答えることが多い。
—–
ちなみに、土曜トーナメントの優勝賞品はサラダ油セットだった。
なぜ男ばかりの所でサラダ油セットなのかと不思議に思ったが、後年、誰かから聞いて疑問が氷解した。
休みの日に将棋道場へばかり行っている男性の奥さんは、道場通いを苦々しく思っている恐れがある。このような奥さんの不満を少しでも解消するためのツールとしての一例がサラダ油セットだというのだ。
たしかに宝石を賞品にするわけにはいかないし、サラダ油なら長い間道場に置いておいても腐らない。
優勝賞品は包装紙に包まれており結構重かったので、家に帰るまで何が賞品なのだろうととても楽しみにしていたのだが、家で開けた時のショックは、個人的には大きかった。