郷田真隆四段(当時)「丸山先生はお元気ですよ」

将棋マガジン1991年9月号、鈴木輝彦七段(当時)の「つれづれ随想録」より。

 5月の初旬に郷田君と二人で日本医科大学に行った。正確にはNHK放送出版の佐藤さんとカメラマンの河井さんも一緒だった。

 6月30日のNHK将棋講座をご覧になった方もいらっしゃると思うが、あの検査の為である。

 脳を調べてもらうのは初めてだ。以前から「少しおかしいかもしれない」と思ってはいたが、調べてどんな結果が出るのかは多少不安だった。

 もっとも今回の検査は”右脳、左脳”の脳波の動きを調べるだけで、正常だとか少し、だとかを調べる訳ではなかった。

 そんな訳で、大きな不安はなかったが、自分一人が他の棋士と違っているのではと考えたりした。

 初めての被験者は真部一男八段だった。テレビでの脳波検査だったわけだが、面白い結果が出たそうだ。

 普通、計算とか考えるとかは左脳の働きで、右脳はイメージの世界を分担しているらしい。

 ところが、真部さんが将棋を考え始めると(この場合は詰将棋)、右脳からベータ波が出ていたそうだ。

これが”右脳、左脳”の権威である日本医科大学の品川嘉也教授をして「不思議なことだ」となったらしい。

 この話は真部さんからも聞いていて、「これは棋士ではなくて真部さんが普通じゃないんでしょう」と私は言ったのだ。

 深夜までお酒を飲んで、8時間は寝ないと体に悪い」と言ってぐっすり眠る。朝寝る方がよほど体に悪いと私には思えるのだが、こうした話はたくさんある。居の痛みを訴えると、「胃の痛い時は頭をぶって、そうすれば胃の痛さを忘れる」と言われた事もある。一見論理的に思えるが、今考えると右脳的発想だった。

 話がここで終われば、特にどうという事もなかったのだが、品川先生が「他のプロ棋士の頭脳も調べたい」と言ったので大変なことになった。

 いよいよ棋士の頭の中が白日のもとに晒される日が来たのだ。前からウスウス変だとは思っていたが、これですべて判ってしまうだろう。

「二人目の先崎さんも右脳で考えていました」と担当の人は言っていた。それも、むべなるかなと私は思った。彼の話にも論理性はない。ただ思い付いた事をしゃべっているだけだ。よりによって参考にならない奴を選んだものだ。

 四人で研究室の近くの鮨屋で昼食をとった。

「景気付けにビールでも」と私が言ったら「検査の前ですから」とやんわり断られた。

 鮨と聞けばビールというのが私の連想で、恐ろしいほど単純な発想だ。前途が思いやられると思っただろう。

 一階の暗い通路を歩くうちに、丸山ワクチンで有名な丸山先生がこの大学病院の学長をされていた事を思い出して、「丸山先生はどうしているなかぁ」と私がいうと、「丸山先生はお元気ですよ」と郷田君が言った。

 いかにも親しく知っているという感じで言うので、何を言っているのかと思った。まさか、丸山忠久四段の事を言っているのではないかと思ったが、あるいはそうかもしれないと考えると、めまいを起こしそうになった。

 研究室に入ると、早速16個の電極を頭に付けて検査が始められた。

(中略)

 終わると声も出ないという感じだったが、これで、今日のスケジュールは終わったと思うと別の安堵感に包まれた。

 コンピュータの処理がすむまで、雑談が交わされた。

「家の祖父がこの大学の出身なんです」と郷田君が言った。「名誉学長の丸山先生とは何度かお会いしています」と続けると、助手の先生方の郷田君を見る目が変わったようだ。

「おじい様は何科ですか」とチーフの方が聞くと「ええ、丸山先生と同じ皮膚科です」と答えた。

「郷田様」とは言わなかったが、意外な言葉に一同言葉を失った。

 越後の縮緬問屋の隠居が身分を明かした時もこんな感じかと思った。

 大先生のご学友のお孫さん訳で、知っていれば、座布団が十枚位出たかもしれない(そんな訳ないか)。

 この後、谷川、羽生、屋敷、神吉とこの研究は進められたが、一様に将棋を考える時は、右脳を使って考えている事が判った。

(以下略)

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昔の話。

接待の飲み会をしていた時のこと。

顧客側の女性の一人が、

「申し訳ありませんが、これから父の稽古会があるので、今日はこれで失礼させていただきます」

と先に帰っていった。

こんな夜に何かの稽古をやっているお父さんって、趣味とはいえ、世の中には随分酔狂な人がいるものなんだな、と思った。

後日、顧客の担当者から、「彼女のお父さんは、狂言師の○○さんなんですよ」と教えられて、驚いた。

私はあまり表情が顔に出るほうではないが、この時は、越後の縮緬問屋のご隠居の身分を知った江戸の町人のような顔になっていたと思う。