今日は、竜王戦6組 櫛田陽一六段-佐藤慎一四段戦が行われる。
この対局に櫛田六段が敗れると、櫛田六段現役最後の対局となってしまう。
→弟子の引退がかかる「運命の対局」となった田丸―櫛田の師弟戦は櫛田が勝利(師匠である田丸昇八段のブログ「と金横歩き」)
—–
今日は、櫛田六段が全日本プロトーナメント決勝に進出した時の話。
将棋マガジン1988年5月号、谷川浩司王位(当時)の全日本プロトーナメント決勝第2局(櫛田陽一四段-谷川浩司王位戦)自戦記「本当の勝因」より。
二週間前
「決勝の相手は高橋十段だと思っていたので、やや拍子抜けしてしまいました」
三番勝負を前にして、この談話が朝日新聞に出た時、櫛田四段に対して失礼だったかな、と後悔した。
ただ、棋王戦と全日プロで高橋十段に勝って、前期の借りを三倍にして返す、というのが読み筋だった事も事実である。
もっとも、決勝となれば相手が名人でも四段でも関係ない。気を引き締めて、全力で戦うだけである。
そしてもう一つの談話。
「もちろん勝ちます」
の方は、本音が半分、主催者へのサービスも半分あった。
五年前
櫛田四段とは、もちろん公式戦初対局だが、練習将棋は指したことがある。
五年前、私が八段の時、新宿のスナックで顔を合わせ、乞われるままに一局指した。
断片的にではあるが、形を覚えている。図のような中盤戦だったと思う。
酒も相当入って、かなり遅い時間だったはずである。いまだに記憶に残っているのは、当時から彼の強さを知っていたせいであろう。
この対局の一年後、彼は奨励会に入り、そして三年のスピードで卒業した。
全棋士参加トーナメント、初参加での決勝進出は、初の快挙。特筆すべき事である。
十三日前
第1局は、2月18日、羽沢ガーデンで行われた。
イ図はその中盤戦。実はこの局面の四手前までは、一年半程前の対森安戦と全く同一だったのだが、対森安戦の感想をそのまま信用して指したのが悪く、イ図では先手不利である。
ところがここから(中略)と進んだロ図では、既にこちらの方が良くなっている。
△3一歩では、△3三金(中略)△4六歩が正解だった。
▲3九竜と引かれて、櫛田四段はがっかりしたそうである。それが尾を引いたのか△5三角もおとなしすぎる感じで、△4七歩成(中略)△5六馬で勝負だった。
ちなみに△3一歩は2分、△5三角は4分。勝負所にしては短すぎる考慮である。
そして、もっと不可解だった事がある。
櫛田四段は準決勝の高橋四段戦の時に必勝宣言をしたとか。その真偽の程は不明だが、何となく彼の雰囲気が出ている話ではある。
そこまで強気な印象のある櫛田四段が、何故▲3九竜と引かれたぐらいでがっかりしてしまったのか。そして、ロ図以降の指し手も、頑張っているようでもあるが、逆転への執念は感じられなかった。
何故執念がないのか。その事がずっと気になっていた。
五分前
櫛田四段は和服で登場した。第一局の時は間に合わなかったとか。着るのは初めてだそうだが、彼の体型には和服が似合いそうである。
(中略)
五時間後
第5図の△4四歩が皮肉な一手で、先手は身動きが取れなくなった。こちらの方は、相手の指し方を見て、△6六角成か△6五桂か決めれば良い。
▲5八銀打ちに34分。櫛田四段は執念を見せた。だが、本局も時間の使い方に問題があったようである。気合で指すタイプなのかもしれないが―。
(中略)
打ち上げの二次会に、いきなり話は飛ぶ。
櫛田四段は、東六段、脇六段、井上五段らと、結構話を弾ませていた。くやしそうな様子は全くなかった。
櫛田四段が話しかけてきた。
「五年前の事、覚えていて頂いて嬉しかったです」
そうか。そうだったのか。
この一言を聞いて、不可解に思っていた事が判りかけてきた(但し、これからは私の推測である。間違っていたらお許しを―)
五年前の事もあって、今回の櫛田四段は、戦うというよりも、教わる気持ちだったのではないか、と。
二局目の局後の感想戦で私は、櫛田四段が慣れていなかったのが勝因では、と話した。
確かに、連盟外での対局、前夜祭、和服―、戸惑いもあったと思う。
だが、彼の本当の敗因は、別なところにあった。
それは、彼が二十代だったことである。
彼に、今の十代棋士のような良い意味での図太さがあれば、私は負けていたかもしれない。
「17歳や18歳ではないので、やりにくい事はありません」
戦前の談話が、図らずも的中した。
一年後
櫛田四段は、
「来年ですよ、来年」
と、しきりに繰り返した。
今年は駄目だったけど、次は、という意味である。
そうだ、櫛田君。君の実力はこんなものではないはずだ。
そのために、わざわざ着物も作ったんだしね。
—–
櫛田陽一四段(当時)は、この対局のほぼ2年後、NHK杯将棋トーナメント戦で優勝する。
櫛田陽一六段といえば「世紀末四間飛車」。
昭和のオーソドックスな四間飛車の陣形をベースに、櫛田六段が開発した様々な指し手が繰り広げられる。居飛車穴熊にされてもわが道を行く。
アマチュアが理解しやすい、アマチュアに喜ばれる指し方だった。
今世紀になってからは、近代将棋で「新世紀四間飛車」という講座も担当していた。
—–
櫛田陽一六段が1級で奨励会に入会したのが18歳の頃。
それまでは故・小池重明氏の弟分的なアマ強豪だった。
その頃のエピソードについては、故・新井田基信さんの「小池じゅうめい物語」に詳しく書かれている。→小池じゅうめい物語
櫛田陽一六段、ドラマのある棋士だ。
世紀末四間飛車〈急戦之巻〉 価格:¥ 1,223(税込) 発売日:1990-12 |
世紀末四間飛車〈持久戦之巻〉 価格:¥ 1,223(税込) 発売日:1991-05 |
世紀末四間飛車―先手必勝編 価格:¥ 1,223(税込) 発売日:1994-10 |