近代将棋1991年12月号の特集「今年の忘れ得ぬ局面」より、郷田真隆四段(当時)の「悔しくって、家に帰ってから一晩中、盤とにらめっこ」。
A図は先手(私)の▲2五歩に対し、後手の木下五段が△5二飛と回った局面である。
指された瞬間は「なんだ?」と思ったが、考えているうちに”ねらい”がわかり、容易ではないことに気がついた。
従来、▲2五歩に対しては△5五歩▲2四歩△同歩▲同飛△3二金として、そこで▲3四飛か、▲2八飛、どちらを選んでも一局だが、先手に選択権のある将棋で別段不満はない。
が、△5二飛に対して▲2四歩と突くと、以下、△同歩▲同飛△8八角成▲同銀△3三角▲2八飛△2六歩▲7七桂△2二飛の反撃がある。(参考図)
かといって、▲4八銀は△5五歩とされ、▲6八玉なら△3三角だし、▲2四歩なら△同歩▲同飛△5六歩で、これは先手がわるい。
感想戦でわかったことだが、木下五段は既に経験済みで、実戦があったとのこと。
この△5二飛は木下五段の新手なのかあるいはもっと古くに指されたことのある手なのかは定かでないが、勉強不足の私は、この初めて見る手に、思わず長考となった。
長考の末、私は▲2四歩といった。
▲4八銀△5五歩▲6八玉△3三角なら無難なことはわかっていたが、そのあとのことはほとんど考える気がしなかった。
▲2四歩以下は前述の手順どおり進み、先手も指せると思っていたが、中盤とんでもない手を指してしまった。
B図の▲8七銀である。
ただでさえ、△7七角成から△3五桂打ちとやってこようというところである。
△7七桂成を全くうっかりしていたのだから、しかたがないが、それにしてもひどい。
B図以下、△5二金左▲5六歩△3三桂と進んだ局面で、私は▲4八角と打った。(C図)
よっぽど投げようかと思っていたが、根性を出して角を打った。
しかし、これが受けになってなく、△7七角成▲同玉△3五桂▲1八角△2七歩成▲同銀△同桂成▲同角△3八銀で見事に決められた。(D図)
以下、少し難しくなる場面もあったが順当に負かされた。
やはり、あんな角を打つぐらいなら投げるべきだったと、後になって思った。
あんまり悔しいので、家に帰ってから将棋盤とにらめっこが続いた。
何時間ぐらい考えたのだろうか。
自分なりの結論を出したとき、ふと外をみると、空はすでに白くなりはじめ、太陽が昇ろうとしていた。
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木下浩一五段(当時)のとった作戦は、後に「ゴキゲン中飛車」と名付けられる戦法そのもので、この当時は「5筋位取り中飛車」と呼ばれていた。
最も古くは古典定跡に造詣が深かった故・富沢幹雄八段が、そして1990年代初頭に木下浩一五段(当時)や有森浩三六段(当時)がこの戦形をよく使っていたという。
→名人戦解説会-有森流44銀型中飛車(カクザンのブログ(岡山市岡南将棋教室入門コース))
このような中飛車を初めて見た郷田真隆四段(当時)の戸惑いが、鮮烈に書き綴られている。
超速が指されるようになる20年も前の話。