「若手棋士に聞く ボクが初段になるまで 郷田真隆四段の巻」

将棋世界1991年2月号、「若手棋士に聞く ボクが初段になるまで 郷田真隆四段の巻」より。

 ―将棋を覚えたのはいつ?教えてくれた人は誰ですか?

 「物心ついた時には、将棋の駒をいじくって遊んでいた、という記憶があるんです。駒をおもちゃ代わりにしていたんです。将棋を教えてくれたのは、おそらく父でしょう」

 ―物心ついた頃というと3、4歳の頃でしょうか。おそらく、というのは?

 「小さい頃のことでしたから、初めて将棋を教えてもらった時と、その時教えてくれた人が誰だったか、という正確な記憶がないんですよ。父が大の将棋好きでしたから、おそらくというか、まず間違いなく父が教えてくれたんだと思います。ただ、いつどうやって将棋のルールを覚えたのかよく覚えてなくて・・・自然に覚えたというか、自然にボクの身体の中に入ってきたという感じですね。父には将棋を指しに来るライバルがいて、二人が指しているのをよく見ていたから、それでいつの間にか覚えて行ったのかも知れませんね。ところで、家に将棋を指しに来ていた人の名は屋敷さんていうんですよ」

 ―えっ、まさか屋敷伸之棋聖のおとうさんでは!

 「いえ、さすがに違う人ですけど。もしそうだったら傑作ですね(笑)。ボクには親戚に羽生っていう名字の人もいるんですよ。将棋と縁があるのかな」

 ―将棋のどんなところに興味を引かれたのでしょうか?

 「うーん。気がついたときには野球と将棋が好きになってて、外では野球、家では将棋という子供になっていましたから・・・。今、思うと将棋の戦闘的なところに心を引かれたのかも知れませんね。男の子って誰でもそういうところがあるんじゃないかな」

 ―覚え始めの頃の棋力は?

 「そんなのありませんよ(笑)。きっと無茶苦茶弱かったでしょう」

 ―でも短期間の内に強くなったのでは?

 「いえ、そういうこともなかったと思います。でも、小学校に入ってしばらくするうちに、父に時々勝てるようになりました」

 ―おとうさんの棋力はどのくらいでしたか?

 「アマ二・三段くらいかな。当時はなかなか強くて勝てませんでした。今は全然弱いですけど・・・(笑)」

 ―アマ二・三段のおとうさんに、時々入るようになったということは、既に初段の力に達していたのでは?その頃、強くなるためにどんなことをしましたか。

 「特別に強くなろうと努力したという感じではないんですけど、父が持っていた本や、新聞の観戦記の切り抜きを見たりしてましたね。ああ、それと、将棋雑誌に載っていた段位を取るための”検定問題”に挑戦したりもしました。8歳の時だったと思います。そうしたら、将棋雑誌の係の方から、『あなたが最年少の挑戦者だから頑張って下さい』っていう励ましの便りをいただいたりして、ずいぶん励みになったものです」

 ―おとうさんが持っていた本の題名は何でしょう?

 「父が、升田先生や内藤先生、芹沢先生のファンで、相掛かり系の激しい将棋が書いてあるものが多かったと思います。題名はちょっとはっきり覚えていませんが、父が初めて本を読んで教えてくれたのが、芹沢先生の書いた本の中の”鎖鎌銀(くさりがまぎん)”という戦法の定跡で、これが、ボクが初めて覚えた将棋の定跡でした。鎖鎌銀というのは、1図の△7四銀の動きから来たものなんでしょうね。

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 図以下、▲4五銀△6五銀▲3四銀△7六銀▲2三銀不成(途中図)△8八角成▲同銀△4四角▲3二銀不成△同銀▲2四飛△6七銀成▲4四飛△7八銀成▲6四飛(2図)が定跡手順です」

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 ―ものすごい手順の定跡ですね。ちょっと簡単に講座をお願いします。

 「△7四銀と出たのは次に△8五銀からの角頭攻めを狙っています。これに対し、先手は”攻めるは守るなり”で▲4五銀と攻め合いを目指します。(中略)」

 ―イヤハヤ、激しい将棋ですね。この定跡を教えてもらったとき、どう感じましたか?

 「居玉でガンガン激しく戦うのが気にいっちゃったんでしょうね。この定跡が大好きになって、父と指すとこればかりやっていました。2図では、以下△8八成銀なら▲6二歩と打つ手が厳しくて、そうなれば先手の方が良いと思ってましたから、ボクがいつも鎖鎌銀に対向する側を持って戦っていました」

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 ―おとうさんとは、普段から良く指しましたか?

 「覚えてからしばらくはボクも弱くってそうでもなかったと思うんですが、定跡を教えてもらったりして将棋がどんどん好きになると、ボクの方からせがんだりして指してもらうようになりました」

 ―おとうさんはすぐに相手をしてくれましたか?

 「ええ、その点は子供心に、父が仕事なんかで疲れているのに無理にやってもらうっていうのはイヤだったんで、指して欲しいときは父の側になるべくくっついているようにして、『オイ、将棋やるか』って声をかけてもらうのを待ったものでした」

(つづく)

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親戚に羽生さんがいる郷田家に屋敷さんが将棋を指しに来る、という夢のような図式。

”羽生”、”屋敷”という珍しい苗字、その両方の苗字の人と関わりがあるのだがらすごい確率だ。

よく考えてみると、”郷田”という苗字の人もなかなかいない。

全国の苗字によると、

郷田さんは939世帯で3,374位

屋敷さんは854世帯で3,611位

羽生さんは2,304世帯で1,698位

羽生さんは「はにゅう」と読むケースも多いが、3つの苗字の中では羽生さんが一番多くということになる。

ちなみに、

森内さんは2,164世帯で1,790位。

羽生・森内は、苗字部門順位でも、しのぎを削っているようだ。

意外なのは、

深浦さんが422世帯で5,801位。屋敷さんよりも深浦さんという苗字が珍しいという結果。

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「ええ、その点は子供心に、父が仕事なんかで疲れているのに無理にやってもらうっていうのはイヤだったんで、指して欲しいときは父の側になるべくくっついているようにして、『オイ、将棋やるか』って声をかけてもらうのを待ったものでした」

この郷田真隆少年の健気さが、お父さんにとっては可愛くて仕方がなかったことだろう。