将棋世界1991年2月号、「森下卓に緊急インタビュー 好青年の仮面を剥ぐ」より。インタビューとテープ起こしは先崎学五段(当時)。
先崎 やあやあこれはこれは。こうしてあらたまって向かい合うのも変な感じですね。新人王、棋聖挑戦、天王戦優勝といいことずくめで困るくらいでしょう。
森下 いえいえとんでもない。お恥ずかしい限りです。
先崎 森下さんというと『準優勝男』という実に有難くない異名を取っていたわけですが、順愁傷は何回?
森下 えーと、忘れた、と言いたいんですが(笑)。準優勝が6回、挑戦者決定戦で負けたのが3回、順位戦の次点が2回だったかな。
先崎 それは凄い(笑)。やっぱり焦ったでしょう。
森下 うーん、焦る、というよりも、そろそろツキが回ってきてもいいはずだ、いいかげんサイコロの目がこちらのいいように出てもいいんじゃないかな、とは強く思ったね。
先崎 ということは、実力で負けたんじゃなくてツイてなかったんだと―。
森下 いやいやそうじゃなくてね、勝負の確率でいうと、6回のうち、3回は勝ってもいいと思うんですよ。2勝4敗でもしょうがない。でも6連敗というのは、あまりにもおかしい。絶対にそろそろ勝つころだな、とは思っていましたね。
先崎 都合11回ですか。普通の人間ならノイローゼになってもおかしくない。でも森下さんはいつも明るい(笑)。そのあたりの気分転換法など教えてくれません?
森下 いや、別に意識したことはないんだが、負けた事は早く忘れるようにはしているけど―。
先崎 酒とかギャンブルとか。
森下 いや、僕はヤケ酒というのは飲んだことがないんですね。酒は楽しいときしか飲まない。負けたら、風呂に入って寝るんです。ギャンブルは師匠(故・花村元司九段)に止められていたんでやらない。楽しいと思わないし―。
先崎 僕が森下さんを見て、信じられないな、凄いな、と感じるのは、竜王戦で羽生に負けたでしょう。その次の日の研究会で羽生と指して、終わった後は一緒に飯を食って―ああいうの、抵抗はないの。
森下 そりゃあ抵抗ありますよ。ないわけないじゃないですか、口惜しいに決まってます(興奮して喋りまくる)。でも、将棋の勝負っていうのは次がある。この一局で終わりじゃないんです。だから負けたことはもちろん口惜しいけど、ヤケになっちゃいけない。早く忘れなければいけないんです!(毅然として胸を張る)
先崎 まあまあ落ち着いて。あまり忘れているとは思えないですね(笑)。ところで森下さんというと、棋界有数の研究家というイメージがあるわけだけど、日頃はどんな研究を?こんなこと同業者には話しにくいかな(先崎、敵情視察に走る)。
森下 え~と、やっぱり実戦かな。ここ数年は、平均月20局以上は指しています。それ以上は企業秘密(爆笑)。
先崎 毎日、朝の8時から丸山君(忠久四段)と指すという噂もありますが・・・。
森下 いやデマですね。ごく稀に、です。
先崎 米長先生とよく研究しているとか聞くけど(かなりの突っ込み)。
森下 そう。主に序盤を教えて貰ってます。
先崎 序盤が中心なのは何故?
森下 というのはね、今の将棋は、序盤で作戦負けになると、立ち直れないようなところがあるでしょう。だから、序盤の研究というのは、一種の保険で、安心感を買うようなものだと思うんですよ。ただ、勝負がつくのは、やはり終盤。そこは実戦でカバーするしかない。これはこれで大変なんだよ。先崎さんみたいに遊んでばっかりいて勝てる人がうらやましい。
先崎 何をおっしゃるうさぎさん(笑)。さて、ここいらで一つ優勝も果たしたことだし、何故あんな勝負弱かったのか、自己批判をして頂きたいんですが―。
森下 うーん、そうねえ・・・(考え込む)やっぱり基本的に人間が甘いんでしょう。
先崎 というと?
森下 いや、僕は生まれが小倉なんだけど、小さいころから辛い思いというのをしたことがないんです。欲しいオモチャを買って貰えないこともなかったし、友達に苛められることもなかった。師匠には本当に可愛がって頂けたし、憧れの東京に出るときには、オバアチャンが来てくれて食事なんか全部作ってくれた。本当に辛い思い、みじめな思いをしたことがないんです。だから逆境になったときに、弱いと思う。いつかはヒドイ目にあうんじゃないかという不安はいつもありますね。甘いんです。僕は。
先崎 でも逆境は、もうクリアしたんじゃ・・・。
森下 それはちょっと違うね。準優勝が多い、次点が多いといっても、それは勲章をもらいそこねたにすぎない。負けても、何かを取られたわけではないでしょう。もうけそこなっただけで大損はしていない。こういうのは逆境とは言わない。
先崎 なるほど、なるほど・・・(大きく頷く)じゃあ、今までに一番辛かったことは?
森下 やっぱりC2に5年間いたことだね。勝てば上がれる・・・という将棋を負けた。僕が感想戦をやらなかったのはあの一局だけです。あれはホントにキツかった。今年の春もそうだったけど、順位戦で上がりそこねるというのは、艱難辛苦のかたまりだね。先崎さんも気をつけてよ。
先崎 それはそれはどうもどうも(笑)。その後は将棋もおかしくなるとかありますか。
森下 いつもとは違いますね。でも頑張るよ。今年も羽生君に負けて次点になった3日後に新人王戦で木下君(浩一四段)と指した。全然悪かったんだけど、根性出して勝ったんです。あれで負けていたら、新人王戦の優勝だってなかった。そうなったら棋聖戦も負けていたかも分からない。やはりどんなときも頑張らないとね―。
先崎 ところでそろそろプライベートの方に質問を移したいんですが、いいですね。心して答えてくださいよ。
森下 ええ、何なりとかかって来なさい(笑)。
(つづく)
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森下卓六段(当時)が、「今年も羽生君に負けて次点となった」という対局は、1990年3月のC級1組順位戦最終局のこと。
この時のことは、先崎学五段(当時)が名文を書いている。→血涙の一局
先崎学五段にとって森下卓六段は、研究会(森研)で一緒だったということもあり、数多くのエッセイでネタになっている。
その全てが森下九段の隠れた個性を浮き彫りにしていて、面白い。
そんな先崎五段による森下六段緊急インタビュー。
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森下卓六段の、「でも、将棋の勝負っていうのは次がある。この一局で終わりじゃないんです。だから負けたことはもちろん口惜しいけど、ヤケになっちゃいけない。早く忘れなければいけないんです」は名言だと思う。
将棋に限らず、仕事でも恋愛でも同じことが言えそうだ。