将棋世界1991年6月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時・・・in 大阪」より。
さてこの間新四段に昇段した平藤は年齢は27歳だが、どう見ても20歳そこそこにしか見えない童顔で、まあ学生っぽい雰囲気がある。それでも将棋はしっかりしていて、手の見えるのも速い。私も奨励会時代、戦ったのは一局だけだが負かされた覚えがある。強い将棋だが、時々とんでもない大ポカが出る。大トン死と食らったり、二歩を打ったり。ここで井上五段の登場。
「ワシも奨励会時代、平藤さんには苦戦しましたわ。一回、三段の時に負けれん勝負がありまして、それがまたえらい必敗形になってもて、どないしようかと思たんですけど、ちょうど相手が二歩を打ちごろの局面があってですね、ところが向こうは歩を持ってませんねん。それでワシはわざと歩をタダ捨てしまして・・・・・・そしたら案の定二歩ですわ。いやあ、狙って二歩になったなんて、生まれて初めてですわ」
平藤「そやねん、ひどいねん。僕が歩を打った瞬間、井上さん大きな声で『それを待ってましたんや』って言うねん。ほんま、ひどい反則負けや」
今だから笑い話ですまされるが、昔も笑い話だった。
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将棋世界1991年8月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時・・・in 大阪」より。
さて、注目の屋敷-井上戦(C1順位戦)だが、この日の慶太(井上)は何時も以上に気合が入っていた。強敵だからということもあるが、実は絶対勝たねばならぬ理由が二つあった。一つは家族から「勝てるわけないやん」と言われたこと。そしてもう一つが傑作である。
慶太は週1回、師匠の道場で20数人集まる子供を相手に将棋を教えている。その子供達がこんな会話をするらしい。
A「なあ、井上先生って強いんか?」
B「強いはずないやん、テレビに出てへんもん」
A「なんや、弱いんか・・・。ほんなら今度屋敷棋聖と当たるって言うてるけど」
B「あかんな」
それを聞いた慶太、酒の席で私にこう言った。
「子供はよう見てまっせ。そやから一番にテレビの予選で勝ちたいんですわ。でも、もう負けてもたからこれはあかんとして、それやったら強いやつをやっつけて、ちょっとぐらい自分をアピールせんと・・・子供にバカにされんように燃えてますわ」
第1図はその中盤。
(中略)
タイトル保持者として勝たねばならぬプレッシャーか、気負いか、何かそんなものを感じたが、本局、最後まで屋敷らしさが出ず、井上の堅実な指し回しに完敗。苦しいスタートを切った。さて、難敵を倒した慶太。勇んで自宅にTEL。「おう、わしや、屋敷に勝ったで!」
電話に出たのが慶太の妹。それを聞いて喜ぶのかと思いきや、一言「ウソやろ」最後まで信用されなかった。気の毒。
(以下略)
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二歩打ちごろ、とはどのような局面なのだろう。
考えてみた。
次は先手の手番。
ここで▲5五歩と相手の様子を見る。
後手は歩切れなので、喜んで△5五同銀左。
先手は肩を落とし気味に▲9一竜。
そして、後手からの決め手、△6七歩。
後手の6筋の歩が底歩になっていると、”底歩”という存在感がどうしても出てしまうけれども、二段目の歩だとひっそりとしている。
実際にはもっと複雑な局面だったのだろうが、棋譜を見てみたいものだ。
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神吉宏充七段が描く若い頃の井上慶太九段のエピソードは傑作揃い。
愛され、可愛がられるキャラクター。
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開局した当時の囲碁将棋チャンネルの営業担当だったTさんは、井上慶太八段(当時)に顔の雰囲気が似ていた。
その頃の囲碁将棋チャンネルは、池袋の北口を更にずっと北の方へ行った所にあった。
一緒に仕事をしたことがあるが、Tさんは真面目で仕事熱心で、かと言って堅苦しいわけではなく、酒を遅くまで飲んだり柔らかい面もあって、とても良い雰囲気を持った青年だった。
井上慶太九段のことを考えるとき、5回に3回はTさんの顔が浮かんでくる。