団鬼六さんと行方尚史四段(当時)

近代将棋1994年11月号、故・団鬼六さんの「鬼六面白談義 麒麟と駑馬」より。

 その大山夫人のうしろから、腹話術の正ちゃん人形みたいに私に向かってピョコンと顔をのぞかせたのは行方四段であった。

 行方四段は大山名人の愛弟子である。大山先生に行方は将来の有望株ですよ、と進言したのはこの私であるが、それは彼が奨励会二段の時、ジャーナルの企画として東北の桃太郎VS鬼の指しこみ将棋を始め、二枚落にまで指しこまれたショックを伝えたもの。しかし、まさか、新四段になったばかりの行方が竜王位挑戦権を争って最終まで粘り抜き、米長さんを準決勝で破り、羽生新名人と決勝戦で相まみえるなど、地下の大山名人も舌を巻いておられる事だろう。大山夫人にとっても行方のこれからの飛躍は老後の楽しみの一つになる筈だ。

 行方四段が準決勝で米長さんと相争う事となった日、私は何とも複雑な気持ちであった。米長さんは私とは朋友の間柄だし、行方四段は奨励会時代より私が自分の書生みたいに可愛がっていた男。この竜王戦準決勝の日は何とも落ち着かず、まだ、日の明るい内から酒を飲み始めていた。翌朝、この勝負の結果を私の家へ電話で知らせて来たのは行方四段ではなく、米長前名人だったので驚いた。「ナメちゃんにやられた」と、米長さんは底抜けに明るい声で報告して来たのである。私はうろたえて、

 「やられたって、平手でやられたの」

 「そう、平手でやられた」

 「行方にナメられたな」

 「うん、ナメられた」

 米長さんと私の対話は大体、こんな風になるわけで、それにしても、行方四段の猛進はいくらバカづきしているとはいえ、米長止まりに終わると見ていただけ私は一瞬、呆然とした。何だかうちのガキが小学校で金持ちのお坊ちゃんと喧嘩して怪我させてしまったような妙な気分になり、それはどうも申し訳ない事を、と思わず口より出かかったりした。

 米長さんはすこぶる陽気で、これで、少しは肩の荷が降りたし、時間もとれたから遊ぼうよ、などといった。

(中略)

 「米長先生に勝っちゃいました」と行方四段が私の家に報告にやって来たのはそれから二日ばかりしてからだが、こっちは勝ったのに大して元気がなかった。決闘のくり返しで血の匂いを嗅ぎ過ぎた若い剣客が緊張の余韻を持て余しているといった感じである。普通、人間は素面の時はあとなしいが酒が入ると大言壮語調になるものだが、彼の場合は逆になっていて、素面の時は僕は単にツキだけで勝ち進んでいるのではない、この調子は僕の努力なんです、と豪語する。しかし、この時のように二人きりで横浜の盛り場を飲み廻ったりすると、ふと感傷的にも弱気になって来て、そこが彼の実に可愛い所なのであるが、世間ではこの竜王挑戦の決勝ではやはり羽生・米長の対決を見たかったでしょうね、などとしんみりした口調になり、ま、すんだ事は気にするな、と、酔った私は彼につられて間の抜けた慰め方をしてはっと気づき、何いっとるんだ、おい、と彼の背をたたく事になる。

 若い時は世間がどうこうなんて考えてはならぬ。馬車馬の如く、わきめも振らず前へ前へと進めばいいのだ。他の事に頓着する暇などあってはならぬ、人生の若い花は一歩進めばあとは花吹雪となって散っていくだけだ、などと私は気障っぽい事をいってハッパをかけた。

(中略)

 そのパーティー会場で行方四段の口より竜王戦挑戦者決定戦1局の経過を聞かされる。

 その決定戦三番勝負の第1局は羽生の勝ちであった事はすでに私は仲間より知らされていた。この稿が印刷される頃には第2局が、ひょっとすると第3局につながり、その決着もついている筈だ。

 その第1局を観戦した弦巻さんも読売の山田次長も、いや、行方君はよくやりましたよ、と揃って行方四段の健闘をほめちぎっていた。中盤までは羽生絶対優勢に思われていたのを終盤になって行方が逆襲に転じ、希に見る壮絶なる攻め合いとなったというのである。その祝賀会場で出会った読売の山田次長も私に、行方はすごいですよ、形勢不利を一手争いの終盤に持ちこみ、鬼気迫るものを感じた、という意味の事を告げた。その一局で行方は羽生の心胆を寒からしめたに相違ない、という観戦していた仲間達の批評は行方が勝ったというより何かジーンと胸にくるものがある。23歳のライオンに20歳の若鷲が敵わずまでも羽根を飛び散らせて噛みついたような悲壮味を帯びた血戦が想像出来た。

 行方四段をつかまえてまた酔っ払い特有のうるさい調子で、この竜王挑戦者決勝、三番勝負、あと二番は何としても勝つんだぞ、俺はもうフランス語の勉強を始めているんだからな、とハッパをかけ、また、羽生名人より貴殿の御期待と御希望に添えず真に失礼、てな手紙は寄こさせるなよ、と、やっている時、この祝賀会の司会者より祝辞を頼まれた。

(以下略)

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ここで出てくるパーティーは、第1回大山康晴賞受賞式。(個人の部:永井英明近代将棋社長、佐々木治夫北海道将棋連盟初代理事長 団体の部:天童市)

19年前の今頃の季節のこと。

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団鬼六さんが行方尚史四段(当時)を可愛がる気持ち、二人のやりとりが、たまらなく最高だ。

近代将棋がまだ続いていて、団鬼六さんも健康で、今回の王位戦についてのエッセイを団鬼六さんが書いていたら・・・と、ついつい思ってしまう。

本当に、読んでみたい。