真部一男八段(当時)「売れない芸能人みたいに来る仕事を全部引き受けるからだよ」

将棋世界1991年4月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時・・・in 東京」より。

 控室に顔を出すと、中原名人が来ていて、「どう、忙しいですか」と言われたので、「なれない原稿で疲れます」とお答えした。すると、いつの間にか真部さんが居て「売れない芸能人みたいに来る仕事を全部引き受けるからだよ」と辛辣な事を言う。名人も「そう、そう」と嬉しそうだ。

 たまには切り返そうと思って、「いや、この間は高い仕事を断ったんです」と胸をはって言ってあげた。

 「一度断ると仕事が全部無くなるよ」と真部さん。

 「もったいない事したね」と名人。この様に将棋界は後輩には厳しい所だ。

(以下略)

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真部一男八段(当時)のこのような会話の雰囲気がたまらなく面白い。

真部八段に自然流で相槌を打つ中原誠名人も絶妙。

真部一男八段は鈴木輝彦七段が奨励会員だった頃の奨励会幹事。

真部一男五段(当時)「命だか何だか知らないが悪手は悪手だ」

鈴木輝彦七段は真部一男八段とも中原誠名人とも非常に仲が良く、一緒に酒を飲みに行ったりすることも多かった。

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一方、この記事を面白く逆手にとったような文章が、将棋世界の翌月号に真部一男八段によって書かれている。

将棋世界1991年5月号、真部一男八段(当時)の順位戦B級1組最終局レポート「石田、喜びの逆転勝利」より。

 鈴木は4月からNHKの講師をやることになっている。

 ちょうどその場に居あわせた伊藤果は経験者であり、私も昔やらせてもらったことがある。これは先輩風を吹かすには格好の相手とばかり、私が鈴木に「あの番組の影響力は大きいから君は有名人になって街を歩けなくなるよ」と切り出してみた。

 するとすかさず伊藤が「そうそう特に地方に行くと誰かれなく肩を叩いてくれるからちょっとした肩こりは治ってしまうよ」と話を合わせる。

 これが同期のうれしいところ、あうんの呼吸である。今や将棋界の知性とまでいわれている鈴木答えていわく「私は名誉や金といったものには興味がないのです」これには私と伊藤はただうなだれるのみ。

 その直後が鈴木の本領発揮。そばにいた三社連合の高林記者に「ところで高林さんの原稿料はいくらですか、私はン千円で安いんですよ」と泣きを入れている。

 何のことはない鈴木もリラックスしていたのである。

(以下略)

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奨励会時代から続く先輩と後輩の良き関係。

部室のような雰囲気の控え室が最高に絶妙だ。