林葉流初手▲3六歩戦法

将棋世界1991年3月号、林葉直子女流王将(当時)の第17期女流名人位戦〔清水市代女流名人-林葉直子女流王将〕第1局自戦記「奇襲、効を奏す」より。

 これで負ければ、大ボケ者と皆に冷笑されるだろう。

 でも、なぜか指したかった初手▲3六歩。

 もし先手だったらと、私にしてはめずらしく作戦をたてていたのだ。

 作戦とはいえども、研究していたわけでもなく、ただ指してみたかったというだけの安易な気持ちだっただけだが・・・。

 しかし、なんの根拠がなかったわけでもない。

 この女流名人位戦第1局の前哨戦ともいえるべき将棋を新年早々、清水市代女流名人と札幌の東急将棋まつりで戦ったのである。この大一番の1週間前、1月5日だたか。一般公開の対局であり、しかも大盤解説付きというもの。

 このときは、やはり女流名人位戦の前だし、ちょっと変わった戦法でもやってみるかという軽い気持ちで飛車の斜め上の歩を突いたのだった。

 しかしその直後大盤解説の聞き手をしていた山田久美二段が、

 「女流名人位戦の前だから、林葉さんも手の内を見せないようにしているんですネ」

 と言うのを耳にして、気が変わったのである(私ってば、なんてヒネクレ者なのでしょうか)。

 実際は指してみて結果的に負けはしたものの、なんとなく手応えがあったというのが正直なところだが・・・。

 それに市代ちゃんもまさか私がこの場(将棋まつり)で指した将棋を大一番に指すとは思うまい、と踏んだのである。

 今になって考えてみれば、山田久美二段の言葉に感謝しなければならない。

 久美ちゃんありがとう。

 そしてその数日後―。

 我ながらいい思いつきだ! とこの女流名人位戦第1局の前日に大親友の中井女流王位に電話をした。

 「ねぇ広恵、聞いて私、初手▲3六歩って指すからね」

 「あのねー、そんなこと私に言ってどうするわけ?」

 「広恵も明日、対局でしょ?」

 「それと、どう関係があるの?」

 「一緒に初手▲3六歩突こうよ」

 「・・・はぁ、そんなこと直子ちゃんしかしないわよ。私も大事な一番なんだから」

 「あら、そう。残念ねぇ、もの凄くいいアイデアだと思ったんだけど」

 「・・・・・・」

 この瞬間無言で相手にされなかった。

 盤を離れれば親友といrども、女流名人リーグの挑戦権を争った間柄だ。

 広恵ちゃんもこんなおバカさんに負けるんじゃなかった、と思ったに違いない。

 しかし、それは思っていても口にしないやさしい彼女。私の迷作戦に半ば呆れ気味の口調で疑問を投げかけてきた。

 「先手じゃなかったら、どうするの?」

 「・・・あ、そうか。何も考えてなかった」

 「でしょうね」

 「でもね、先手だったら▲3六歩って指すから楽しみにしてて」

 「ハイ、ハイ」

 受話器の向こうで、一方的に▲3六歩と指すから!と言われて困惑したであろう。

 ただ、私としては先手だったとき、誰にもこの作戦を打ち明けていなければ、きっと指す直前に怯むだろうと思ったのだ。

 約束したという気持ちがあればすんなりと飛車先斜め上の歩を握れると―。

 後手だったら、というよりもなぜか先手だと信じて翌朝、対局場に向かった。

 念力――ッ!

 私の願いが通じてか、振り駒の結果、と金が3枚で私の先番でこの女流名人位戦五番勝負が開始された。

 4年振りに女流名人位戦の挑戦者。

 思惑どおりの展開になったのは、ラッキーだったとしかいえない。

 そこで私は初手▲3六歩と突いた・・・。

 タイトル戦ということで、将棋連盟4階の特別対局室は、カメラマンや取材の方々でいっぱい。

 一瞬、その場にいた方々の、

 「ゲッ」

 とでも、言いた気な表情を見て私は思わず苦笑してしまった。

 その中でも、女流名人である対局者の清水市代ちゃんが一番ビックリしていたようだ。

 彼女は驚くと・・・目をクルクルと動かす、そのとおりだった。

 市代ちゃんに勝つのが目的ではなく、私の作戦は驚かすというのに重点を置いていたのだ、ということに指し始めて私は気付いた。

1991 (1)

 これまでの経過は上手くいったが、一番大事なこの戦法に関する知識は、まったくと言っていいほど無知なのである。

 NHK杯で指されていた先崎VS谷川戦も見ていなかった。

 他にも谷川新竜王が夏の将棋まつりで塚田八段を相手に公開対局で指していたということだけは覚えている。

 このとき私は大盤で聞き手をしていたので知っていて当然だ。

 だが、思い出せないっ・・・。

 初手が▲3六歩だったという以外覚えてないのである。

 では、この勝負の前に清水女流名人と札幌の将棋まつりで指したのなら、なんとか形になるか・・・、とその局面までを想定したのだが、その前の段階で本局は工夫されてしまった。

 私ってなんてバカなんだろう。

 その言葉を頭の中で繰り返しているうちに序盤は、どうも後手番ペースになっていく。

 2図となってみて、先手陣は何が指したかったのか、てんで理解できぬ奇形となってしまった。

1991_2 (1)

 (とは、いっても指したのは私・・・)

 初手だけは、驚かされたけど。こんなものですか?

 きっとこう思ってるナ、清水女流名人の顔をボーッと見ながら、私は相手が何を考えてるのか想像してみた。

 形勢が良くないのに、相手の顔を見るという変な余裕があるのが、私の図太いところであろう。

 そのとき彼女は私の視線を感じていただろうに、こちらに顔を向けることがなかった。

 紺のブレザーに白のブラウスで清楚ないでたちの清水市代女流名人は、対局室に入ってきたときに、

 「おはようございます」

 と言ったきりで、それ以後は何の私語もなく終局まで・・・。

 よく考えてみれば、この対局の最中は一度も目が合わなかった。

 普段から礼儀正しい市代ちゃんだ。私とはタイプが違うのだ。

 彼女を花にたとえれば”ひまわり”という印象がある。

 ひまわり、をじっと見つめる私は何になるのか?

 「市代ちゃんがひまわりなら私は?」

 ふと思い、ある人に訊いたら即座に、

 「”ハチ”がピッタリネ。毒を持ったハチ。蝶々じゃ可愛すぎるし」

と言われてしまった・・・。

 ほんの少し期待していたのに。

 直子ちゃんを花にたとえれば、可憐なカスミ草とでも言ってくれるのではないかと・・・。なのに”花”ではなく”ハチ”だなんてヒドすぎるのではいか!しかし、素直なもので言われてみれば、それが正しいような気もしてきたが。

 初手▲3六歩と突き、美しく咲き誇る市代ひまわりにブンブンと何を考えてるのかわからぬよう花のまわりをクルクルと飛んでいるのが直子バチ。

 これは想像しやすい。

 ハチのひと刺しとはよく言ったものである―。

 初手以後の指し回しが悪かったせいか序盤は清水ペース。

 だが中盤でやや陣形を整えることができた。

 これなら勝負だ!と思ったのが3図のあたりからだ。

1991_3

 この辺は、自分でもうまく指せていると思った。

 しかし4図まで進み、楽観派の私はこの後自らの策におぼれてしまったのであった。

1991_4 (1)

 4図は▲3四歩△同歩▲3三歩と指したのに△同銀と後手が応じたところである。

 この数手前に、わたしはこの筋を発見しこれなら指せるとヒラめいたのが4図で▲4五桂と指す手だ。

 変な手だが、面白い。

 後手の飛車は逃げ場がないのである。

 数手後飛車を手にしたとたん、それまでの緊張感の糸がプッツンと途切れた私を想像していただきたい。

 飛車は頂戴したものの、清水女流名人の絶妙な攻防に私は舌を巻くばかり。

 形勢が良くなった、勝ちだ!と思うばかりの気持ちが、かえって自分自身を焦らせる。

 4図から5図までの間、私は妙に緊張し、勝ちを意識しすぎていた。

1991_5 (1)

 自然に指さなきゃ、と思うばかりで刻刻と私の持ち時間は減っていく。

 寄せが全然浮かばないでのある。

 事実、5図で指された△2五歩は勝負手であった。

 私はこの手に対して持ち時間を使い切り1分将棋に突入。

 清水女流名人は残り40分。

 アマチュアみたいだが、とりあえず”王手”をして手を繋ぐしかない、と指し進んだ局面が6図。

1991_6 (1)

 とにかくこの時点では早く指されるのが一番イヤだった。

 なんせ私は1分将棋・・・。

 どの手を指されても、”終盤の強い清水”に寄せられてしまうだろう、と思っていたぐらいなのだ。

 だが、こで清水女流名人は長考に沈んだ。

 しかも残り時間を使い切るほどで、37分間、私の玉の寄せを考えていたのだ。

 寄せられたしょうがない、とは思いながらも6図、本譜で示された手以外の対策は練っておいたのだが・・・。

 6図、△2九銀と指されてビックリ。こんな手があったのか、私は動揺した。

 1分間に、すべてのことを整理してその手に対しての正着を指さねばならぬというのは大変なことで・・・。

 実際6図からの指し手、9手目で私が▲3九銀と受けていれば、きわどく残っていたのだが、本譜は7図のように進んだ。

 行きあたりバッタリ・・・私の将棋はそのまんまで、指されて気付くという始末だ。

 受けのに7図。

1991_7

 △2六歩と指されて、オヤ、受けがない!と気付いたのだった。

 終局後、中井女流に聞かされたのだが控室では、「投了するナ」と言われてたそうだ。

 しかもこの段階でこの将棋の検討を中止したらしい。

 プロの感覚では、あとは指してもイミがない、ということなのだろう。

 「そいいうもんなの」

 「だって直子ちゃんの王様、受けがないじゃない。しかし・・・、わからないものねぇ」

 「とりあえず王手したら、上手くいったのよ、これが」

 「信じられない・・・」

 皆、このセリフを私に向かって言いたかったに違いない。

 投了すべき局面から私が数手指した8図。私が▲5六金と指したところだ。

1991_8

 ここで・・・、詰んだらしょうがないナ。△5六同竜とさえ指してくれれば、どうにかなるか、私はジッと彼女を見た。

 秒読みの清水女流名人、迷ったようにし、記録係の50秒、1、2、3、の声に反応し手が伸びたのは5六の地点であった・・・。

 普段の彼女の実力なら、8図で私の玉を詰めていただろう。

 冷静に考えれば簡単だ。

 ”女流名人位戦”というビッグタイトルが肩に重くのしかかってしまうのは否めないだろう。

 私も同じ気持で、この将棋の内容は二転、三転としている。

 投了しなかった、のが勝因ともいえる面白い内容となったが。

 今は第1局を終えたばかり。

 清水女流名人は、痛い負け方をしたものだ・・・。

 恋愛のことならば”市ちゃん早く元気になってね”など、声をかけたいものだが、こと将棋に関しては、元気にならなくていいからねっ!と・・・いうのが本心である。

 このラッキーだった1勝を、最大限に生かすことができるよう、がんばりたい。

 どんな勝ち方でも、大きな一番で、幸先良いスタートを切れたことが嬉しかった。

 それに、▲3六歩と奇襲戦法での勝利ということは、二重の喜びであった。

 「大ボケ直子」

 と冷笑されることはない!?ハズである。

 これからもどんどん、乱暴に指していこう!と更に燃えてる私だ。

 久しぶりの女流名人挑戦者なんですもの[E:heart01]

 期待しないで待ってて下さい。

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勝負師気質を凝縮したような、この時の林葉直子女流王将(当時)。

3勝1敗で6年振り4度目の女流名人位に就くことになる。

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初手▲3六歩戦法や2手目△7四歩戦法は、現代でも不利になると断定はされていない戦法。

初手▲3六歩戦法は、最近では渡辺明竜王が2005年度のNHK杯戦決勝(対丸山忠久九段)で採用した戦法でもある。(この時は惜しくも敗れる)

2手目△7四歩戦法は、中村修九段が1993年に開発した戦法で、近年も指されている。

細かくは調べていないが、初手▲3六歩戦法と2手目△7四歩戦法は、微妙に趣が違うようだ。

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それにしても、面白い自戦記だ。