近代将棋1991年10月号、石田和雄八段(当時)のA級順位戦〔石田和雄八段-大山康晴十五世名人〕自戦記「不利でもいい、前へ出よう」より。
順位戦は、盤に向かう緊張感が一味ちがう。こう感ずるのは、おそらく私だけではないだろう。戦績により、たちどころにクラスが上下する。特に、負けがこめば降級してしまう。これが棋士にとって実に深刻な問題なのだ。
若手は昇ることだけを考えていればいいが、ベテランはそうはいかない。降級の憂き目を見れば、名誉のみならず、経済生活に直接、打撃を受けるからだ。
A級は、下位者2名が即座に降級する。だから私は、とにもかくにも、まず4勝をあげることを目標に掲げた。
棋譜は、順位戦スタートの一局、大山康晴十五世名人との将棋を選んだ。
大山先生には、これまでなかなか勝たせてもらえなかった。こう言ってはなんだが、お歳を考えれば、今後、そうたくさん対戦の機会はもてないだろう。不世出の大名人に心ゆくまで教えていただこう。そう思い定めて対局に向かった。
(中略)
好調の原因は何か、と近頃よくきかれる。まあ、時の流れ、勢いというものがある。それと、家庭菜園をしているのが、健康と気分転換に効いているらしい。
とまと、なす、ピーマン、ブロッコリー、にんじん、大根、とうもろこし、隠元豆、ほうれんそう、・・・なんでも作っている。我が家の野菜のすべてまかなっているというわけではないが、収穫まで手づから世話をするのは楽しみなものである。
さて、盤上。私を相手に大事な一番を戦う時には、大山先生は決まって四間飛車でくる。私は急戦で行くつもりだった。
大山先生の四間飛車の序盤は、4一金の動きを保留するところに特徴がある。
(中略)
さあて、大山先生はいよいよ△7二飛と正体も現してきた。次の<7五歩>が不気味だが、こちらはじっと▲3五銀と出る。
(中略)
実は、この手は、大山先生、生前の山田道美九段との対戦で初めて指されたのだが、皆、どぎもを抜かれたのだ。一時的に悪形ではあるが、6三飛と一つ寄れば、たちまち好形に転ずることができるのがミソ。
(中略)
なにしろ銀桂交換の駒損だから、正直いえば、やけっぱちみたいなところもあるが、▲3三歩成を見送って4六銀と後退したなら、7五歩、同歩、7六歩、同金右、7五銀で、大山ペースにもちこまれていただろう。
先に、好調の原因は、勢いと家庭菜園と述べたけれど、もう少しいえば、局面の岐路に立った時、本譜のように多少不利でも前へ出られるようになったということがある。年々、肉体が衰えるのは仕方ないが、精神までなえてはいけないと、いまさらながら思う。
(中略)
大名人を相手に、幸先よい1勝をあげられた。今後の順位戦の展開は神のみぞ知るだが、一戦一戦を大事に戦っていきたいと思っている。
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順位戦に対する思いが、非常にざっくばらんかつストレートに語られている。
「こう言ってはなんだが、お歳を考えれば、今後、そうたくさん対戦の機会はもてないだろう。不世出の大名人に心ゆくまで教えていただこう」も、そうは思っていてもなかなか書きづらいことだ。
石田和雄九段の文章は、その人柄と同じく、感じたこと・思ったことを素直に表現するのが特徴なのだと思う。
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好調の原因を、家庭菜園というところも、石田和雄九段らしいところ。
ところが、先に進むと、「好調の原因は、勢いと家庭菜園と述べたけれど、もう少しいえば、局面の岐路に立った時、本譜のように多少不利でも前へ出られるようになったということがある」と、最も伝えたかったであろう本音が出てきて、とても微笑ましい。
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石田和雄九段が柏将棋センターのホームページで毎週書いている「石田九段の今週のつぶやき」。
9月7日に四段昇段が決まった三枚堂達也新四段は内藤國雄九段門下であるが、石田和雄九段が佐々木勇気四段とともに幼稚園の頃から柏将棋センターで鍛えた、目の中に入れても痛くないほどの可愛い存在。(Wikipediaによると、三枚堂四段のお祖父さんが内藤九段と知り合いで、内藤九段に勧められたことがきっかけで将棋を覚えた関係から、石田門下ではなく内藤門下として入会したという)
石田和雄九段の三枚堂達也四段に対する思いも、「石田九段の今週のつぶやき」には書かれている。