近代将棋1991年1月号、湯川博士さんの「新聞将棋の楽しみかた」より。
この頃の近代将棋では、月替りで棋士が編集長を務める企画となっており、1月号の”今月の編集長”は羽生善治竜王(当時)。
羽生編集長の企画の一つがこの「新聞将棋の楽しみかた」だった。
タイトル戦掲載紙を中心に主な新聞将棋を通読しどんな記者がどんなことを書いているか紹介いたします。対象は10月15日~11月15日まで、これはと思う新聞があったら買って読んで下さい。
読売新聞(竜王戦)
陣太鼓のイメージが強い読売だが、最近はどんどん新しい人を投入。その中から才能を育てようというのかもしれぬ。今年は初のドイツ対局を成功させて、大いにファンを楽しませてくれた。まずは河口俊彦から。
☆感想戦が始まったが石田はうれしさをこらえきれず「ボクのようなものがフランクフルトへ行っていいのかね」心はすでに挑戦者になっていた。そんなところが石田の人のよいところで、中原も苦笑するしかなかった。まったく勝った時の将棋指しほどいい商売はない。
河口でなくては書けない棋士側からの気持ち(いい商売)を書いてある。石田はいろいろなライターが材料にしやすい人物だけに、かなり味濃い表現でないと読者はああまたかと思うが、河口は百も承知でツボを心得ている。
次も現役のプロ棋士・木村義徳。河口ほどの達者ではないが、その分、理論的なことや個人的意見が随所に見られて楽しめる。
☆筆者は谷川の疾風の寄せを見たかったので、「△9二飛で寄せはありませんか」。対して谷川は微笑。青野が「飛車をとっても負けですよ」。ここでも谷川慎重。
疾風の寄せを見たいのはファンも同じで、いいところを聞いてくれている。プロ棋士は格好つけて聞かなかったりするが、木村は観戦の時はファンの気持ちになっているのだろう。
次は山帰来(大期喬也・奨励会出身で将棋世界の編集長をしていた)
☆「どうなっているんですかね。私に棋神が乗り移ってしまったように自然にうまく指せちゃうんですよ」と石田は竜王戦での連勝にはしゃいでいたが、まさにそんな感じがしないでもない展開だ。
☆「いやあ、これは座り心地がいい」。とまず将棋盤(心あらば)が思ったのではないだろうか。(ドイツから帰国しての第一局)
さて次はおなじみ陣太鼓(山本武雄)。もの書きにとって一番難しいのは、自分の文体をつくることだがこの人はとうの昔に完成し、それゆえに人気を保ち続けている。通読してみて、やはり文体を楽しんでいる自分に気付くのである。ではたっぷりとどうぞ。
☆しかし、はたでどんなに騒ごうと馬の耳に念仏。
☆ここでつまずいては夢も希望も吹っとんで、これまでの苦労は水の泡。
☆指し手は挑戦権などどこ吹く風。
☆夢を無残に砕かれ、お先真暗の石田は泣きの涙で△6五同歩ですが、谷川は▲6四歩で銀を呼び出し▲6五銀もぶつけて、だんだんよくなるホッケの太鼓。
☆谷川のマクラをたかくさせません。
☆しかし落ち目の時はどうしようもないもの。
ところで今の若いひと、ホッケの太鼓なんてわかるのかなあ。心配なので蛇足ながら・・・法華経のうちわ太鼓は鳴らせば鳴らすほど音がよくなるんです。それでだんだんよく鳴る・・・。でもわかんなくても断然面白い。次は新顔圭(=池崎和記さん)。
☆谷川が帰ってきた。石田は谷川に断り「ふだんと同じがいいんだ」とつぶやきながら隣室のフスマを開けた。重苦しい空気がすーっと流れて行った。畠山四段と伊藤四段がニッコリ笑っているのが見えた。
石田の気の弱いところ優しいところがよく出ている。フスマの向こうに若手の笑顔があるのも効いている。最後に竜王戦の責任者・山田史生記者自らが書く感動の一文。
☆後方にいた私はなぜか感動で目がうるむものを覚えた。日本将棋界の誇る二人の青年棋士の姿を尊敬のまなざしで見つめる青い目の人々。ドイツ対局の企画段階から関与してきた私はこの光景が見られただけで、成功だったなと胸の内で感じていた。
(つづく)
—–
この期の竜王戦は、石田和雄八段(当時)が快進撃を続け、挑戦者決定戦三番勝負で谷川浩司王位(当時)と対決。
しかし、2連勝で谷川浩司王位が羽生善治竜王(当時)への挑戦権を得て、七番勝負第1局はフランクフルトでの開催されている。
時期的にはその頃のことが描かれている観戦記だ。
—–
陣太鼓(故・山本武雄八段)流、河口流、木村義徳流、大期流、池崎流、山田流、それぞれの「らしさ」が短い文章の中に存分に発揮されている。
—–
陣太鼓さんは独特の文体で、多くの将棋ファンがその観戦記を楽しみにしていた。
「交喙(いすか)の嘴(はし)の食い違い、なかなか思うようにはまいりません」
「取ることかなわぬ魚屋の猫」
などの名調子。
故・山口瞳さんは「血涙十番勝負」の中で、陣太鼓さんの観戦記を大絶賛している。
私は子供の頃は陣太鼓さんの観戦記にピンとこなかったが、年齢を経るごとに、その良さがじわじわとわかってくるようになった。
誰にも真似のできない文章だ。
—–
「石田はいろいろなライターが材料にしやすい人物だけに、かなり味濃い表現でないと読者はああまたかと思うが、河口は百も承知でツボを心得ている」
昔のことだが、隣で別の対局をしている石田和雄九段の会話やしぐさがかなりの割合で盛り込まれている観戦記もあったほど。
たしかに、その棋士の個性的なネタがたくさん取り上げられてしまうと、段々と書くのが難しくなってくるという傾向はある。
例えば、加藤一二三九段。
ズボンをずり上げたり、超長いネクタイだったり、咳払いだったり、相手の後ろに回りこんで盤面を見たり、うな重や上寿司を頼んだり、おやつに果物を大量に食べたり、など、今までたくさん書かれてきたので、現在では並大抵なエピソードでは読者が満足できなくなっているかもしれない。
なかなか難しいところだと思う。