将棋世界1992年1月号、大崎善生さんの第4期竜王戦(谷川浩司竜王-森下卓六段)第2局観戦記「一枚のFAX」より。
竜王戦第1局、初のアジアでのタイトル戦は激闘の末、持将棋、両者痛み分けに終わった。
帰国してからの谷川竜王の日程が凄い。
10月31日 対内藤九段=棋聖戦
11月2日 対高橋九段=棋王戦
11月5日 対中川五段「=天王戦
11月7、8日(岐阜) 竜王戦第2局
11月10日(日) 対内藤九段=順位戦
11月12日(東京) 対米長九段=王将戦
11月14、15日(大分) 竜王戦第3局
ざっとこんな調子である。もちろん、タイトル戦は前日に対局場に入っていなくてはならない。つまり、殆ど毎日を将棋から将棋へと飛び回っている。11月3日は、関西会館設立10周年の行事で南棋聖と席上対局をしていた。それに11月17日には名古屋で将棋の日・・・。11月12日の時点で11月中8局、そして本年中に最低18局は消化しなければならない、と本人は笑っていた。
そんな超過密のなかで、第3局を本誌に自戦記を書き、第2局は他誌に書いている。そして、私にブツブツと言うには「7手詰を作るのに、まる2日間もつぶしてしまいました」。
将棋世界で公募した、7手詰めコンテストに自作を投稿してくれるというのだ。ダイアモンドのように貴重な時間を、湯水のように費やして、たった一題の7手詰を作る。本当にいい感じだなと思う。もちろん、選者には谷川作であることは知らせない(全題が名前無記名で審査)。予選通過!?を心からお祈りする。。
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対局場は岐阜駅から車で30分。鵜飼いで有名な長良川のほとりにある、長良川ホテル。「名古屋からミャー鉄でいきゃいいがや」という、編集部のN先輩の言葉に従い、名鉄の快速に乗る。先週は名鉄も近鉄も解らないで、先チャンを不安がらせてしまったが、今日は大丈夫。スイスイと乗り換えることに成功した。
名古屋駅の地下道を歩くと、反射的に思い出すのが、亡くなった板谷進九段だ。ドーンと広くて、それでいてどことなくズボラな雰囲気のする地下街を歩くと、何となく切ない気持ちになってしまう。
旅館で川を眺めながら、女将に鵜飼いの話を聞いた。腹ペコにさせた鵜のノドをヒモでしばり、魚をのみこめないようにして川に放つ。そして、一杯くわえたところを、引きあげて吐かせる。実際にそうやってとれた魚は、今でもちゃんと流通ルートを通って、食卓に並ぶのだそうである。ひでえ話だ。
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1図は、今ではすっかり流行形となった森下システム。3七桂~3八飛がその基本形である。実はこの図と1筋の歩の突き合いがないだけという局面が、前日に行われた米長九段と高橋九段のA級順位戦で出現していた。
ここから▲5六金△7三角▲6五金△8四飛▲4七銀、というのがこの局面での最善手だろうというのが、米長、森下の共同研究だったそうである。
森下六段にとって不運だったのは、前夜祭終了後に控え室に米長-高橋戦の棋譜を取り寄せて並べられたこと。そして、それを谷川も一緒に見ていたことだった。
「金の銀が最善であろうということは、米長先生と研究していました。先にやられたんで・・・ちょっとやりにくかった」と森下が言えば「あの棋譜を見たのは、私が随分得をしたんですね」と谷川。対局前夜に棋譜をFAXで取り寄せて調べる程の熱心さが、本局の思わぬ伏線となってしまっていたのである。
米長-高橋戦は1図(1筋の突き合いはない)から▲5六金△7三角▲6五金△8四飛▲4七銀△6四歩と進んでいる。△6四歩以降は後手がやや苦しい展開ということらしい。
谷川はその修正案として、▲4七銀に対して△6四銀。そして、11月19日に行われた対局で、先手を持っている谷川に対して、△5四銀とぶつけ以下勝ち切った男がいる。羽生善治棋王である。
1週間、連盟に顔を出さないと時代に取り残される、といわれている昨今だが、本当に一流棋士達の研究熱心さには頭が下がる。これから度々あらわれるだろうこの局面で、誰が指したどの手が定跡化されていくのか、読者の皆さんも大いに注目していただきたい。
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ここからの展開は、やや分が悪いと思っていたという谷川、辛抱に次ぐ辛抱(69手目▲4六歩)を経てとうとう涙の辛抱(71手目▲6七銀打)をしてしまったという森下。喰い違う感想がある。
「いやいや、本当に涙の辛抱です」を明るく強調する森下に「でも、ちゃんと一歩得してるよ」とすかさず谷川。大きく喰い違う、楽しい感想を聞かせてくれた。
2図から、苦しいと思っていた谷川が勝負手を放つ。△7七歩が鋭い反撃だった。対局室の森下は、この歩を見て、急に動きが慌ただしくなった。
おしぼりでまず顔をふく。盤面の△7七歩を見る。扇子を忙しくあおぐ。歩を見る。眼鏡をはずし天井を仰ぐ。二度三度首を傾げる。ポットからお茶を注ぐ、おしぼりで手をふく。再び扇子をあおぎ、そして何をしても盤上から歩が消えないことを確認したかのように、やがて席を立ってしまった。
この間、谷川は微動だにせず、手応えを確かめているのか、体を動かすことによってこの最高の瞬間が拡散していくことに、十分に注意深くなっているように思えた。たとえ、左手に百匹の蟻がはいまわっていても、彼は動くことにためらったかもしれない。
「△7七歩はうっかりしていました。△7二金と受けられるという気がしていた」という森下の感想がある。
2図、▲7四銀に対し△8五桂▲6二角成△同飛▲8五銀△8二飛▲7四銀△3七角という変化が控え室で検討されていた。しかし、△7七歩はそれを上回る激しい一着。ちょっと苦しい場面から、それを打開すべく勝負手を放つ瞬間、谷川の高性能エンジンが青白い炎を上げ、光り輝く。
2図からの△7七歩を境に、▲同角△6四金▲6五銀引△同金▲同歩△8五桂▲6六角△6九金と、谷川の駒一つ一つに火がともされた。
3図、▲6五金が敗着だったと森下は悔やんだ。角取りに金を打った所だが、谷川は角には見向きもせずに、△7七歩▲同桂△9七桂成▲6四金△8七飛成▲6九玉△8八竜▲6八銀△8七成桂▲5八玉△7八金と、アッという間に寄せ形を築いてしまった。
最後の△7八金のベタ金をウッカリしていたと森下。「この辺はどうも頭がボケてました」と感想戦でしきりにボヤいた。しかし、この後も入玉を含みに必死に粘ったのは、今後のシリーズに大きな意味をもたらすような予感がする。
終局、感想戦、打ち上げ。そして再び控え室―。
両対局者も現れ、すっかりくつろいでいる。森下はタイでみた美人スチュワーデスの話を聞かせてくれた。「いや、いや本当に世界一の美人でしたよ」。後ろにNHKの仕事で来ていた谷川治恵さんが座っているのに気づき、「いや、いや失礼、二番目の美人でしたよ」。本当に楽しく愉快な挑戦者だ。
一方の谷川は、そこで私に例の7手詰を見せてくれた。2日がかりで作った労作である。しかし、正直いって、ちょっと形がごちゃごちゃしている。本人もやや不満気であった。
帰りの電車のなかで、森下が日頃の必死の研鑽の末に、やっとカキ集めた小魚を谷川が首をヒモでしばって待っていたという妄想が頭に浮かんでは消えた。
それでも、何度でも川に潜り、そしてやがて自由に泳ぎ回れる日がくる。すべての魚を腹一杯につめこめる日がくる。その日を目指して、また必死にまだ見たことのない、未知の魚を探し続ける。
それは、とんでもなく失礼な妄想だ。
日常の努力が、半ば偶然に届けられたたった一枚のFAXによって、その意味のいくつかを失ってしまう。そんなこともあるのかも知れない。
数日後、編集部に現れた谷川に、一枚の図面用紙を手渡された。そこには、あの時よりも数段に整理された7手詰が書かれてあった。きっとあれからまた、まる1日は費やしたのだろうなと、申し訳ないような気分になった。
谷川、森下、ともに充実し切っている。最高の激戦が繰り広げられていくことだろう。
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二度、三度と読み返すごとに味わいが深まる観戦記。
鵜飼いの例えは、なかなか大胆だ。
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前夜祭終了後の控え室で棋譜が並べられていたとしても翌日の対局で同じ局面が現れるとも限らず、なおかつ、この当時の最先端の指し方に対してすぐに対抗策を打ち出したのだからすごい。
スポーツ根性漫画の『巨人の星』で言えば、星飛雄馬が編み出した新しい魔球に対して、花形満がその日のうちにヒットを打ってしまうような感覚だ。
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”鵜呑み”という言葉は、鵜は口にした魚は噛まずに丸呑みにすることから、人の言葉の真偽などをよく考えずそのまま相手の言葉を信じ込んでしまうことの意味として用いられるようになっている。
Wikipediaによると、鵜にいつものどに紐をまいて漁をしていると鵜はだんだんやる気をなくしていってしまうということで、鵜匠は鵜に休暇を与えることがあるという。
鵜飼いの漁法は、網や釣竿などで獲るのとは違い、魚の体を傷つけずに漁ができるだけでなく、鵜の喉の中で魚に強い圧力をかけて魚を一瞬で失神させるために、魚の旨みが落ちないらしい。
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長良川ではないが、木曽川で今年、女性鵜匠がデビューした。
→稲山琴美さん 美人すぎる東海地方初の女性鵜匠に指名予約殺到(スポニチ)
たしかに、ここまで美人じゃなくともいいのに、と思えるような雰囲気だ。