郷田真隆五段(当時)「研究というのは自分にとっては靴なんです」、先崎学六段(当時)「そうか、それなら俺は裸足のアベベになってやる」

将棋世界1995年10月号、大崎善生編集長(当時)の「編集部日記」より。

8月11日(金)

 その銀河戦で沼五段が一日3連勝の快挙。Vサインと共に事務所にかけおりてきた。「良いことがあった時に一緒に飲んでくれる人が近くにいて沼先生は幸せですね」とか何とかいって手際よく皆で寿司屋へ拉致する。

 沼さんが三戦目に勝った相手が行方四段。一緒に飲んでいた郷田五段が「行方君に僕は全然勝ったことがないんです。沼先生、強いですね」。なんていうもんだから沼さんは超絶好調。そりゃそうです。若手のバリバリをやっつけて、郷田さんに強いなんていわれれば最高ですよね。結局、先崎六段、郷田さんらと新宿へ流れていった。その酒場できいた印象的なセリフを一つ。

郷田「研究というのは自分にとっては靴なんです」

先崎「そうか、それなら俺は裸足のアベベになってやる」

8月22日(火)

 出版会議。注目の竜王戦、先崎-森下戦が行われ、アベベが快走した。

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この日は銀河戦予選の日。

予選決勝で、先崎学六段(当時)は郷田真隆五段(当時)に勝っている。

そのような状況でも、対局後に一緒にいるというのが、この二人の仲の良いところ。

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8月22日の先崎-森下戦は、竜王戦決勝トーナメント準決勝。

先崎学六段(当時)はこの対局に勝って、竜王戦挑戦者決定三番勝負に進出する。(挑戦者決定三番勝負の相手は佐藤康光前竜王)

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郷田真隆五段(当時)の「研究というのは自分にとっては靴なんです」。

道端に落ちている鋭利な石や金属片やガラス片などから足を守る靴、そのような意味合いだろう。

防弾チョッキや盾や防毒マスクほどの防御機能はないけれど、最低限の災難には遭わずに済む。

先崎学六段の「それなら俺は裸足のアベベになってやる」は、研究などに頼らず自分の腕力で勝ってみせる、という意気込みだ。

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アベベ(1932年-1973年)は、エチオピアの長距離走選手で、1960年のローマオリンピックと1964年の東京オリンピックのマラソンで金メダルを獲得している。

特にローマオリンピックでは、競技の前に靴が壊れてしまい自分に合う靴も調達できなかったため裸足で走ることとなり、一躍”裸足のアベベ”として有名になった。

アベベは子供の頃から裸足で山野を走り回っており、足の裏の皮は厚く、裸足で走ることに慣れていた。

東京オリンピックでは、日本の道路はガラス片などが落ちていて危ないなどのこともあり、靴を履いての疾走となっている。

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小学校の時の体育の授業や運動会は裸足のことが多かった。

私は、アベベのように立派になれるよう学校は裸足を奨励しているのかな、と本気で思い込んでいた時期があった。

それほど、当時はアベベが誰にでも知られている時代だった。

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