棋士数人が1時間議論しても結論が出ない古来からの課題

将棋世界1995年11月号、鈴木輝彦七段(当時)の「矢倉中飛車の美学」より。

 酒が一杯入った時の議論というのは白熱するものであるけれど、後で考えると大した事ではなかったりするものだ。しかも、テーゼに対する先入観が災いしてどんどん袋小路に入ってしまう。たわいもない、と言ってしまえばそれまでだが、別の意味で反省させられるような気はしている。

 数ヵ月前の王座戦決勝の打ち上げも、例によって数人の棋士と関係者で始められた。

 最初は静かに食事を楽しんでいたが、若い棋士の女性観に話が及ぶと、にわかに火がつき、機嫌のいい森先生が若い頃のナンパ術を披露するに至っては油を注ぐ事となった。

 そこで「女性に多少モテなくても将棋に向かっているのが一番だよ」と私がフォローする心算で言ったのがまたいけなかった。

 誰かが、「女性にモテなくて強いのと、女性にモテて弱いのとどっちがいいんですかね」と言ったのが、1時間の議論のテーマになってしまった。このテーゼ自体を疑う者は一人もいない。

 すかさず、超若手の行方君が「◯◯◯◯◯か◯◯◯◯ということですね」と棋士の実名をあげた。

 私の年齢にとっては、どちらでもいいことであるが、若い棋士には意外と深刻な問題だったのかもしれない。

 確かに、私の若手の頃も、最重要課題の一つだったような気もする。

 結局、どちらともつかない結論になったのだが、後日冷静になって考えると、やはり不毛な議論であったと思う。

 実際には、将棋が強くて女性にモテる◯◯ ◯◯先生のような人もいれば(ここは◯◯ ◯先生とすべきか)、女性にモテなくて将棋も勝てない鈴木 ◯◯というのもいるからだ。

(以下略)

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ここに出てくる王座戦決勝(挑戦者決定戦)というのは、森雞二九段-深浦康市五段戦。森雞二九段が勝って王座戦の挑戦者となっている。

「機嫌のいい森先生」と書かれているのには、そのような背景がある。

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ということは、この議論には少なくとも深浦康市五段(当時)も加わっていた可能性が非常に高い。

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下の3行、はじめの◯◯ ◯◯は「米長邦雄」、カッコ内の◯◯ ◯は「中原誠」、最後の◯◯は「輝彦」が入る。

行方尚史四段(当時)が例としてあげた二人の棋士が誰なのかは謎だ。

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「女性にモテる」といっても、本気で付き合っている女性がいる時に他の複数の女性からモテても、これはあまり意味がない。

とはいえ、意中の女性が出現するたびに、片思いばかりを続けるのも切ない。

なかなか難しい議論だと思う。