近代将棋が休刊した頃

昨日、週刊将棋が2016年の3月30日号を最後に休刊すると発表された。

「週刊将棋」休刊のお知らせ(マイナビ出版)

将棋ジャーナルが1993年に、将棋マガジンが1996年に、近代将棋が2008年に休刊をしているが、それぞれ休刊の事情は異なる。

今日は、近代将棋が休刊になる頃の話。

近代将棋2008年6月号、団鬼六さんの鬼六面白談義「天国と地獄」より。

 早い話、この近代将棋も景気甚だよろしくないようである。今回、屋形船を出して大騒ぎをやる前だったか、後だったか、白岩君が私の家に来て

「来月から、不肖、自分が編集長を任じられることになりました」

と、いった。

 それはめでたいことではないか、では、早速、祝いの酒盛りをやろう、と、私が外出の支度をしようとすると、白岩君は慌てて、一寸待って下さい、と私を制するのである。何で自分が編集長を任じられたのか、その理由を聞いてくれ、という。

 そこで私は初めて、近代将棋が経営的に行き詰まり、気息奄々とした状態にあることを聞かされた。

 別に将棋雑誌だけではなく、現在、あらゆる雑誌層は、購買層低下で悩んでいる筈だが、自分達はそれでも日のまた昇ることを信じて頑張るつもりであったと白岩君はいうのだ。しかし、読者から、というより近代将棋の投稿者からきた一通の手紙が圓山オーナーを激怒させた、と白岩君はいった。

 それは近代将棋の原稿料の遅延を直接オーナーに直訴したもので、かなり皮肉っぽい文面であったらしい。社員では埒が明かぬと見て直接オーナーに掛け合ったものだと思われる。

 私も昔、将棋ジャーナルという将棋雑誌を3年経営した経験があるが、将棋雑誌というものがこんなに売れないものだとは思わなかった。ついに原稿料も支払えなくなり、それを当時の執筆者からうるさく催促されて遂に廃刊してしまった苦い思い出がある。

 金があるのに支払わないのではなく、ないから支払えないのであって、しかし、中にはそんな売れない将棋雑誌のわずかな原稿料を当てにしている執筆者もいるのだから、直接、オーナーに喰ってかかるのも無理ないような気がするのだ。

 白岩君達の恐れるのは圓山オーナーが、私が将棋ジャーナルにいよいよ嫌気がさしたように

「よし、もうやめた」

といい出しはしないか、ということであった。

 風俗産業を多角的に経営してきたオーナーにとっては絶対赤字から脱却できない近代将棋は大きなお荷物であったことには相違なく、何時廃刊してもおかしくない筈である。

 近代将棋を永井さんから引き継いでから、もう11年にもなるそうで、その間、一度だって黒字に転じたことはなく、累積赤字はどれ位かと白岩君に聞くと、5億円にもなるそうだ。まさか、と思ったものの、あの将棋ジャーナルだって、月、少なくとも200万の欠損を出していたから、3年経てば7,200万円になる。

 その頃、私は断筆宣言して遊び暮らしていたから、宴会代などを加えると、3年で1億円以上の欠損があったことはたしかで、近代将棋のこれまでの欠損が5億円というのは当然のように思えるのである。

 将棋ジャーナルを始める前、私の預金通帳には5,000万円を温存していた。これだけあれば必ず、将棋ジャーナル、復活させて見せると意気込んだものだが、今、思い出してみると自分の甘さがつくづく情けなくなってくる。

 圓山オーナーが何故、激怒したかというと、オーナーは金は出しても口は出さぬ主義で編集方針など一切、編集部に任せ、しかし、相次ぐ赤字にうんざりしながら、金策に講じていたところオーナー宛に原稿料、支払え、と執筆者からの直訴があったことだ。執筆者と編集部のコミュニケーション全くとれていないというか、その連絡のなさにオーナーは怒り出したわけで、現在の不況の状況など執筆者に説明し、一陽来復するまで稿料の遅延、承諾されたし、と、話し合いをどうして行わなかったのか、と、編集部の対応の杜撰さを指摘し、こんな情の通じない世界にはもうかかわりたくない、と、これ以上、雑誌を継続する意思のないことを示したそうである。

 それでも継続したければ当分、稿料なしで執筆を承知する寄稿者だけで近代将棋を運営しろ、というのがオーナーの意思表示で、そうなら私は編集長を辞任します、と前編集長は身を引き、代わって白岩君がその稿料抜きで雑誌を作る編集長に抜擢されたということになる。原稿料無しの雑誌が作れるものか、と身を引いた前編集長もいさぎよかったが、じゃ、自分がやってみます、と、新編集長になった白岩君もいさぎよかった。近代将棋社には、昔から私の知っている吉野、中野、森という古参の編集者がいるが、彼等がまだ編集には新人の白岩君を盛り上げて新生の近代将棋を継続させようという。これも悲壮なるいさぎよさである。

 それに普通なら3月に発売されるべき近将が今月は一月遅れの4月に発売されるのはどういうことか、と聞くと、印刷会社との間にトラブルが生じたそうで、その理由は稿料未払いのうわさが、印刷所の役員の耳に入り、今後の取引に危惧を覚え、取引停止を申し入れたのだろう。

 だから、印刷所、交換のため編集部は1ヵ月ドタバタ走りまくっていたのが発売日の遅れた真相らしい。

 正に近将は四面楚歌の状態にあることはたしかで、そこで白岩君は私の前に座り直し、

「つまり、こういうわけでして、当分、原稿料などお支払いできませんが、鬼六談義の継続、お願いできませんか」

というから、私は、ああ、いいよ、といった。

 私のデカダンスの原稿が少しでも役に立っているなら無償で提供してやるよ、と、いうと、白岩君は涙ぐんだ目を私に向けた。白岩君の苦悩に満ちた涙顔を見ていると、彼等の苦労が察せられて、こちらもおろおろするのだが、それにしても困ったものだと思った。

 この間の屋形船に出版社数社を乗船させたのも、自分は体力も限界に達しているのだから、今後の執筆注文はお断りしたいという仕事上の話があったからで、原稿料先渡しの出版社まで断って稿料無しの近将に書こうという私はアホかと思うのだが、これがつまり、将棋バカというものだろう。

 私も将棋ジャーナルを経営した頃、稿料なしで作家に連載小説を書かせたことがあった。あまりにも雑誌が売れなかったので苦肉の策として、推理作家の山村正夫とポルノ作家の丸茂ジュンに将棋を題材にした連載小説を書かせ、イラストを内田春菊に担当させた。3人とも古いつき合いだから、稿料なしで引き受けさせたが、熱のこもった力作で普段の彼等の作品より上等に思われたが、そうだからといって雑誌は売れない。ところが出版社が連載の終わりを待ち構えていて完結と同時にすぐ単行本化したが、これが売れ行き好調で、山村も丸茂も相当、儲かった筈である。だから奇を衒ったところで所詮、将棋雑誌は売れないということだ。売れぬだけならいいが、各地の将棋ファンから将棋雑誌にあんな小説を掲載するのは邪道であると避難された。各地の将棋道場からはうちに子供も来て読むのだから、ポルノ小説が載った雑誌はいらないと雑誌の取引を停止してきた。

 いずれにせよ、そんなやり難かった思い出がある。

 それはともかくとして、稿料なしで雑誌を作る、というのは白岩新編集長としてはたしかにやり難い仕事になるはずだ。恐らく、従来からの寄稿者は大半手を引くことが予想される。近将には現在、編集者が5人ぐらいいるのではないかと思われるが、恐らく給料だって最近、遅配続きであることが想像される。それでも近将を何とか持続させようとして一人も会社を去ることもなく、白岩君を最後の砦として頑張ろうとしている姿は頭が下がるというのではない。つまり、全員、将棋バカなのだ。一寄稿者に直訴されて、激怒して、俺はもう知らん、俺は忙しいのだからやるならお前ら自主的にやれ、と編集部に喝を入れた圓山オーナーだってつまりは将棋バカ、5億円もの欠損を出しながら11年も続いた近将を簡単に廃刊させることもあるまい。

 それにしても思うのだが、圓山オーナーと私は風俗産業のつき合いで、将棋仲間、永井社長の業績不振の近将を圓山オーナーに仲介して経営させたのは私なのだ。

 その頃、ナイタイの業績は好調で、一つぐらい赤字の会社を抱えてもいいと私なりに判断したのである。3年たっても赤字続きなら廃刊された方がいいと私の経験から注意したのだが、ナイタイの歴代社長も赤字の解消しない近将をすぐ撤廃すべきだと主張して圓山オーナーから解雇を言い渡されたくらいで、欠損にめげずオーナーは近将を10年以上も継続させた。将棋の魔力にとり憑かれたというか、いくら別れろと忠告されても好きな女をなかなか手放せなくなったのと同様である。

 しかし、近将の編集者諸君にも言いたいことだが、稿料無しの雑誌など姑息な手段であって、売れないものは売れないのであって、それで大勢を挽回するとは到底思えない。大廈の倒れんとするは一本の支うるところに非ず、であって、思い切ってペンクラブみたいな同人雑誌形式にまで縮小しなければ生きのこれないのではないかと思うのだ。

 しかし、近将がナイタイに移籍してから、燦然とした歴史を作ったことも事実である。あの東京ヒルトンホテルに将棋関係者を1,000人集めて行われた永井前社長の盤寿の祝い、ナイタイ全社員が動員されて開催されたあのド派手なパーティーは今でも印象に残っている。

 連盟の米長会長、中原副会長、その他数々の将棋の有名人が挨拶に立つ中で圓山オーナーは私の横でチビリチビリ、ウイスキーを飲みながら私が催促しても自分は絶対に挨拶に立とうとしない。派手なことをやるのが好きな癖に自分は表に出るのを嫌がるのである。表から隠れるのが彼の流儀であるらしいが、そんな隠れ主義のオーナーに原稿料、払え、と本人宛の投書があったのだから、彼がキレてしまうのは無理からぬことである。

 今にして思えばあの近将前社長の盤寿の会を一つの契機として近将を解散させていた方が良かったのかもしれない。永井会長も81歳の盤寿まで近将を持続できたのだから、もって瞑すべし、になるのではないか。

 いずれにせよ、近将の安価な稿料など最初から当てにしていないのだから、白岩君が無償で継続してくれと頼むなら喜んで引き受けるが、目下透析患者故どこまで体力が持続出来るかわからない。それと老衰と同時に頭脳がデカダン癖に冒されてきて暴露趣味が生じ、こんな俗悪な原稿になってしまった。近将としてまずければ、カットしてくれ。

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この当時、将棋ペンクラブの広報のページということで近代将棋に「将棋ペンクラブログ」というコーナーをアカシヤ書店の星野さんと私がそれぞれ隔月で互い違いに書いていた。

近代将棋同じ号の私の「将棋ペンクラブログ」より。

3月15日(土)

 将棋ペンクラブ会報の発送日、そして幹事会。鳩森神社にて。

 今回の会報は、高田宏会長と写真家中野英伴さんの対談、真部九段、田辺忠幸さんへの追悼文、バトルロイヤル風間さんの4コマ漫画「オレたち将棋ゾンビ」など、内容盛りだくさん。

 バトルさんの「オレたち将棋ゾンビ」は、週刊将棋「オレたち将棋ん族」で使えなかったネタを3本よみがえらせたもの。フルセットのタイトル戦の決着がつくのが、締切の前日深夜になるような場合、防衛できたことを想定して1本、できなかったことを想定して1本、バトルさんは書いている。そのうち使えなかったほうのネタが会報に掲載されている。一例をあげれば「郷田名人誕生!の場合に用意していたネタ」など。

 将棋ペンクラブの会報でしか見ることのできないコンテンツだ。

3月24日(月)

 バトルロイヤル風間さんと錦糸町で飲む。バトルさんは、韓国済州島で行われたレスリングアジア大会へ浜口京子さんの応援に行って帰ってきたばかり。話題はペンクラブ会報のことにも及ぶ。

「本当は『オレたち将棋ん族』にかけて『オレたち将棋んゾンビ』というタイトルにするつもりだったけど、入稿のときに『ん』を入れ忘れちゃったんだよね」

 私も今回の会報では「広島の親分(1)」という、元・的屋の大親分であり愛棋家だった広島の高木達夫さんの話を書いている。4~5回連載の予定だ。

 第1回目は、広島に行くきっかけとなった、11年前の、大阪へ向かう新幹線の中での湯川博士さんとの会話が6頁続く内容。第2回は、1年4ヵ月後の広島に舞台を移した話になるのだが、このとき新幹線を降りたあとの大阪での出来事も私にとっては思い出深いもので、ほとんど原稿化していた。しかし、これを会報に載せようとすると「広島の親分」の連載が終わる1年後になってしまう。

「将棋ペンクラブログに書くには、さすがに長過ぎますよね」

 私がこう言うと、バトルさんが「じゃあ、それ近将の別の頁に載せてみようよ。近将に話してみる」

 その結果、「別冊将棋ペンクラブログ」という別コーナーができることとなった。バトルさんにイラストを描いていただけるという豪華な環境。

「将棋ペンクラブログ」では現在のことを、「別冊」では将棋ペンクラブをとおして、今までで思い出深かったこと、今だから書ける内容を中心にできればと考えている。

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「将棋ペンクラブログ」はパブリシティなので元々原稿料の出ない頁。

次の号からは全ての記事の原稿料が出なくなると聞いて、それならば記事も減るだろうからということでの渡りに舟の「別冊」だった。

白岩編集長の力に少しでもなれればという思いもあった。

4月になって別冊の原稿を2号分送ったのだが、5月になって白岩さんから「今度の号が最後になることになったので、2回分掲載します。申し訳ありませんっ」との連絡が入った。

「ああ、近代将棋は終わってしまうのか……」

近代将棋はこの号(近代将棋2008年6月号)を最後に休刊した。

最終ページに、白岩編集長による「近代将棋休刊のお知らせ」が掲載されている。

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近代将棋、というか経営母体であるナイタイグループの経営状態がかなり悪くなっていたことは別の筋から聞いていた。

団鬼六さんが「稿料未払いのうわさが、印刷所の役員の耳に入り、今後の取引に危惧を覚え、取引停止を申し入れたのだろう」と書いているが、実際には印刷会社への支払いが何回か滞っていたのが印刷会社が取引を断ってきた理由だったと記憶している。

ナイタイ出版の看板であった「ナイスポ」は同じ年の9月に休刊をして、翌年にナイタイグループは破産している。

めまぐるしく変わる日々の情勢、その中で最終号を作り上げた編集部の方々には本当に頭が下がる思いだ。

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週刊将棋が休刊になるのは、近代将棋の時とは全く事情が異なるが、将棋専門の新聞・雑誌媒体としては将棋世界とNHK将棋講座のみとなる。

週刊将棋のあと5ヵ月間を、十分に味わっておきたいと思う。