将棋世界2004年1月号、池崎和記さんの「関西つれづれ日記」より。
10月某日
正午から原田九段の盤寿を祝う会。大変な人だかりで、出席者は約500人とか。さすがは原田先生である。
鈴木宏彦さんがいたので内藤-島戦の結果を聞いたら「内藤先生の快勝でした」。かなり早い時間に終わったらしい。すごいのはこのあと。鈴木さんは内藤九段と千駄ヶ谷で12時ごろまで飲み続け、その後、勝浦九段と田中寅彦九段が合流して、さらに新宿まで繰り出し、結局、朝まで飲んでいたというのだ。みんなタフだ。
会場で内藤九段を見かけたので「島さんに快勝したそうですね」と声をかけたら、ニヤリと笑う。ごきげんである。ついでに「朝まで飲んでたそうですね」と言ったら「2軒目以降は覚えてないんや」とおっしゃる。
淡路九段と畠山鎮六段も来ていた。淡路さんは前日、大阪で島本四段と王位戦(予選)の対局があったから早朝の新幹線でやってきたわけだ。ところが話を聞くと、その島本戦がすごい勝負だったらしい。
「千日手になってね」と淡路さん。
「よくあることじゃないですか」
「指し直し局が持将棋で……」
「えーっ」
「3回目の将棋が午後10時ごろに始まって、終わったのが12時過ぎや。4時間の将棋やで」
「じゃあ、ほとんど寝てない……」
「着替えんといかんからね。家に帰って朝6時に起きた」
恐れ入りました。
パーティーは約2時間。僕はそのまま大阪に帰るつもりだったが、出口でスカ太郎(加藤久康さん)につかまった。森内九段と島八段が待っているからマージャンをしませんか、というのである。
「3人マージャンでしょ。スカさんがいるから揃ってるじゃない」
「いや。島さんは4人でやる3人マージャンが好きなんです」
というわけでホテルを出て、駅前の繁華街で雀荘探し。島さんと並んで歩いていたら、彼はベテランの先生は強いですね。桐山先生とか内藤先生とか、ホロホロにされますよ」と、しきりにぼやいていた。内藤九段に負けた直後だから無理もない。
島さんのマージャンは楽しい。彼は四六時中しゃべりまくっている。それもマージャンとは関係のない、プロ棋界の裏話(活字にはできない)ばかりで、そのくせ「きょうはライターが二人もいるから、うかつなことは話せませんね」となどとのたまうのだ。
この島流「おしゃべり戦法」にほんろうされ、結局、マージャンは僕とスカ太郎の負け、という結果になった。
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「ホテルを出て、駅前の繁華街で雀荘探し」とあるが、ホテルニューオータニの近くの駅は四谷か赤坂見附か麹町。駅前に繁華街があるのは四谷か赤坂見附だが、四谷に雀荘があるとも思えないので、麻雀は赤坂で行われた可能性が高い。
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池崎さんは、この前の晩は佐藤康光九段などと午前2時か3時ころまで飲んでいる。
鈴木宏彦さんは前の晩、内藤國雄九段などと午前4時まで飲んでいた。
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原田泰夫九段の盤寿の会が行われたのが2003年10月25日(土)。12年前の今日にあたる土曜日だ。
私は、10月24日(金)の夜から、歌舞伎町にあった「ナイトプレーヤー亜沙」で将棋関係者と飲んでいて、午前2時に店が終わってからは店の人達ともう1軒飲みに行って午前5時か6時頃に家に帰っている。
原田九段の盤寿の会に遅れないように行かなければ、と強く思いながらも、起きたのは11時30分過ぎ。かなり重度の二日酔いだった。
会場に着いたのは13時15分前後だったと思う。
会が終わったのが14時なので、ほとんどの来場者は真っ直ぐ家には帰らなかったものと思われる。
私の知り合いの人たちは、寄席に行ったり別件の用事があったりとで、飲みに行く相手を見つけることができなかった。
ふと考えると、パーティーも含め、今日は起きてから何も食べていないことに気がついて、ニューオータニから歩いて10分ほどの麹町のインド料理店「アジャンタ」へ向かった。
アジャンタは私の学生時代は九段下にあった店。
この店のマトンカレーが絶品で、この日もマトンカレーを頼んでいる。
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2年前の夏、私は副鼻腔炎の手術で8泊9日の入院をしていたわけだが、午前11時頃に退院して、その足で向かった店が「アジャンタ」だった。(病院は飯田橋)
退院の前の日、執刀医の先生に「退院してからすぐに、かなり辛いインドカレーを食べても大丈夫でしょうか?」とダメもとで聞いたところ、「全く問題ありません」との返事を得ていた。
病院での食事に不満はなかったが、やはり退院した日には思いっ切り好きなものを食べてみたいものだ。
アジャンタでマトンカレーを食べながら、もし刑務所に入るようなことがあったら、出所直後はやっぱりアジャンタに来るのかな、と考えたりしていた。