戦慄の渡辺明六段(当時)

将棋世界2005年2月号、河口俊彦七段の「新・対局日誌」より。

 11月25日に、ちょっとおもしろく、考えさせられる出来事があったので、それを書いておきたい。

 私は王座戦の、加藤九段対森(雞)九段の観戦記で朝から将棋会館に出ていたが、昼間は、誌すようなことは何もなく、仕方がないので、3階の事務室に降りて、竜王戦の第4局の経過を見ていた。

 またか、という戦型である。私はしらけた気分で見ていたのだが、そのうち渡辺六段に△3七歩という手が出て、以下あれよあれよの間に勝ってしまった。

 そうして深夜になり、大熱戦の末、佐藤(康)棋聖が石川六段を破った。その少し前、加藤森戦が終わり、これも長手数の熱戦だったが、森九段が勝った。そして好取組と注目されていた、飯塚六段対宮田(敦)五段も気がつかないうちに終わっていた。

 私は帰り支度をし、老人席で一休みしていると、佐藤棋聖が来て、「竜王戦はどうなりました?」と言った。

「渡辺勝ち」私が答えると、

「△3七歩でいいんですか。あの戦型は結論が出ていると思ったがな」

「やっぱり調べてあったのだろうね」

「そうに決まってますよ。でなければあの型は指せません」

 ここは断言した。そんな風にして話がはずみ、日経の神谷記者と三人で、近くの深夜レストランに移り、日常の研究についてなど、などの話をした。

 事情をわかりやすくするために、△3七歩の周辺を説明しておくと―。

 発端は1図。熱心なファンなら私と同じく、またか、と言われるだろう。つい先日の、羽生対森内戦(王座戦第4局)と同一局面である。

渡辺森内1

 特に1図を掲げたのは、▲2九飛と黙って受けた手を見ていただきたいから。これは羽生対郷田戦で、郷田九段が指した手で、本筋の手とはこういうものかと感じさせられる。これを見た棋士は、みな感嘆し、だから羽生二冠も森内三冠もこれに習った。問題はここからである。

 王座戦のときは、森内三冠が後手側を持ち、1図から△2六桂と打ち、▲4八金以下後手不利となった。

森内三冠はなにかいい手がある、と思って1図まで進めたが、いい手が見つからず、悪いと思いつつ仕方なく△2六桂を選んだ、と言っていた。

 感想戦では、別の手として、1図から、△8八歩▲9八角△8五竜▲7八銀△8六桂といった順を調べ、この方が△2六桂よりよい、という結論で終わった。

 今になって思えば、森内三冠は、△8八歩も読んだが、▲9八角△8五竜のとき▲3三歩成△同銀▲4五桂で、攻め合い負けと読み、△8八歩と打たなかった。感想戦ではまったくふれなかったが、そんな気がする。

1図以下の指し手
△8八歩▲9八角△8五竜▲3三歩成△同銀▲4五桂△3七歩(2図)

 くり返すが、▲7八銀でなく、▲3三歩成から▲4五桂は、前に十分読んだ手だったと思う。そして立場がかわり、さらに入念に確かめて指した。

 ところが、その直後の△3七歩を見落としていたという。2図からの手順は45頁にあるので重複をさけるが、ともあれ「△3七歩と打たれては先手が負けです」と局後に認めた。

渡辺森内2

 そういうとき、勝った方は「ええ私も△3七歩を打って指せると思いました」とか、もっと謙遜して「自信はなかったが、他の手は負けそうなので」とか応じるのが定跡とされ、優等生棋士はそうしてきた。

 ところが渡辺六段は「見落としていた」と言ったとき、「えっ!? 誰でも指すでしょう。これを気が付かなかったなんて信じられない」と言ったとか。

 森内三冠は苦笑したそうだが、内心はどうだったろう。棋士になって、将棋の手のことでこんな応対を受けたのははじめてのはず。しゃくにさわって、第5局は、これまた棋士になってから初めてという拙戦を指してしまった、とも考えられる。 

 もしそうなら、中原、米長、内藤、谷川といった人達が、若手にタイトル戦で負けたときと同じになるが、はたして結末はどうなるだろう。

 話を戻して、当然のことながら、佐藤棋聖は、今言った事情など知らない。△3七歩と、その後の、△6六桂と一本打ってから△3二金と手を戻した手順の妙に、感嘆することしきりだった。そして

「たまたま実戦で1図のようになり、苦しまぎれに△3七歩をヒネリ出すことはあるかも知れません。しかし、研究でいい手は見つけられないものです。渡辺君の研究は凄いな。私はまだまだだ」

 と首を振った。

 私は、そういうものかな、と思った。あらかじめ調べておいた手を実戦で指すなんて、偉くもなんともないと思うが、天才の考え方は違うのだ。

 もう一つ、別の機会に聞いた藤井九段の卓説も書いておく。

「羽生、森内クラスの人は、同一手順を進めながらも、案外よく知らないことが多い。どんな局面になっても、その場で最善手を見つけられる自信があるからです」

 情報収集、研究の成果には、おのずから限界というものがあり、頼るのは危険、とトップレベルの人はわかっているのだろう。

(以下略)

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渡辺明六段(当時)は、この第4局に勝って2勝2敗のイーブンに戻した。

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郷田真隆九段(当時)が発見した▲2九飛(1図)は、飛車を2六から2九に引いた手。

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△3七歩(2図)を▲同金と取るのは、△8九歩成▲3三桂成△同金▲3四歩△8八竜▲6八桂に、△5五桂が詰めろ(次に△6六桂以下)になるので後手勝勢。

森内俊之竜王(当時)は▲3九金と引いたが、▲4八金が正しい応手だったという。

私には理解できそうにない変化だが、とにかく▲3七同金は寄ってしまう取り方ということだ。

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渡辺明新竜王は翌年新春のインタビューでこの△3七歩について、「研究で勝ったといわれるのは違いますね。さすがにそこまでは研究してませんから」と語っている。

 

 

 

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