将棋マガジン1994年1月号、山田史生さんの第6期竜王戦第3局〔羽生善治竜王-佐藤康光七段〕観戦記「両者、気合こもる対決」より。
さて1勝1敗の後を受け、当然重要な一局であろう第3局は、11月9、10日に鹿児島市にて。西郷隆盛終焉の地として知られる城山に立つ「城山観光ホテル」。
棋王戦その他、鹿児島でのタイトル戦は数回行われているが、竜王戦では初めて。
日本将棋連盟鹿児島支部など地元主催の前夜祭が恒例通り開かれた。約100人が出席、赤崎鹿児島市長が歓迎と激励の言葉を述べてくれた。
司会が二人に対し「抱負を一言ずつ」と希望したのに答え、羽生は「1勝1敗で迎えた第3局、この鹿児島を初戦と思って頑張りたい」と述べたが、佐藤はそれを受け「私は初戦から頑張っていますので、いつも通りにやるだけです」と、ひょうひょうとした顔つきで述べたので、来客はどっと笑った。
お互い率直な気持ちの中にも、とっさの質問にユーモアをもって答えるなど、若さに似合わぬ余裕と舞台慣れがうかがえ、頼もしい限りである。
(中略)
一夜明けて9日午前9時。立会人の有吉道夫九段が「時間になりましたので羽生竜王の先手でお願いします」の言葉をかけ対局開始。
羽生▲7六歩、佐藤の△8四歩の次の3手目、羽生▲7八金(1図)。
評判の高い羽生の著書「羽生の頭脳」(日本将棋連盟刊)だが、最新巻の第7巻に、3手目▲7八金の意味が述べられている。
非常に専門的で詳しくは同書をご覧いただきたいが、先手は矢倉でも、角換わりでも好きなコースを選択でき、3手目▲2六歩や▲6八銀より作戦の幅が広いのだという。
研究家の佐藤は、ここで早くも15分の熟考で△8五歩。そして△3四歩~△4四歩と、羽生の意向に反発、角換りを拒否した。
ひところのタイトル戦は、1日目はのんびりと駒組を進め、戦いは2日目から、というパターンが多かったが、羽生、森下、佐藤らの登場あたりからか、序盤数手のうちにも重要な意味がこめられていることが多く、開始早々といっても油断ならない。
しかし羽生、午前中は頭脳のエンジンのかかりが遅いようで、控え室のモニターには、頭をがっくり下げてうつむいている様子がしばしば映る。まさか眠っているわけではあるまいが、じっと頭の回転を待っているような風情である。
(中略)
12時半から昼食休憩。羽生はセーターに着替え、レストランでビーフカレー。佐藤は和服の着替えが面倒で、あまり早くないということもあって、ステーキランチを自室へ運んでもらった。
佐藤は東京では朝食をほとんどとらない習慣だそうで、この日も朝食はサラダと果物少々。昼になってやっと胃袋が動き出すようで、昼はしっかりしたものをとる。
(中略)
佐藤が次の手を封じて1日目終了。夜7時から関係者だけの夕食。薩摩料理の懐石。きびなご、とんこつ、さつま揚げなど郷土料理を含む定番のコースだ。
(中略)
2日目は曇り。昼前から雨となった。
(中略)
ここで昼食休憩。羽生は前日通りレストランでカニピラフとサラダ。佐藤は自室で天ぷら定食にサンドイッチ。夕食休憩はなしなので、双方秒読みになると夜8時近くになることもありうる。その用心のため”昼はしっかり”との意図がこもっている。
(中略)
珍しく羽生の方が先に残り10分を切り、秒読みになったが、佐藤の方がややあきらめ気味。王手飛車をかけ、形作りしたことに満足し即詰みを許した。
(中略)
終局後、中華料理の打ち上げをすませ、二人は控え室でトランプをやったり、”変な外人”ブロワーさんと変形将棋を指したりして、午前1時過ぎまで戦いのほてりをさましていた。
——–
今日から行われる名人戦第3局と同じ鹿児島市の城山観光ホテルで行われた23年前の竜王戦第3局。
1勝1敗で迎えた第3局であること、羽生善治名人が先手であること、文字だけを見れば羽生-佐藤戦であること、も共通点だ。
——–
佐藤康光七段(当時)の2日目の昼食の「天ぷら定食にサンドイッチ」。
天ぷら定食だけでは足りなさそうだったので軽い食事も付け加えたということなのだろうが、なかなか不思議な取り合わせ。
たしかに、「天ぷら定食とおにぎり」だと、ご飯の2階建てのようになるのでもっと変だし、「天ぷら定食と蕎麦」は天ぷらを共用できるものの、指し過ぎになる恐れもある。
天ぷら定食に追加する食べ物として適切なメニューは何なのだろう。
・・・と、真剣に考えているうちに思い浮かんだ。
天ぷら定食の大盛りだ。