将棋世界2005年1月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。
最近20代棋士の将棋を見ていて時々感じるのだが、何かすっきりし過ぎているというか、勝つも負けるもあっさりとしている印象を受ける。
苦戦の将棋を延々と粘り、盤上のたうち回るような棋譜が減っているように思われる。
個人差はムロンあるが、棋士は40の声を聞く頃から少しずつ体力の衰えを感じるようになり、そうなると根気にも影響がくるから心体ともに長手数、長時間の闘いが辛くなってくる。
私の場合は30代半ばからその兆しが表れ始めたが、20代の頃は深夜に千日手になろうと、4日間に3局指すといった強行日程を組まれても平気だった。
だから20代棋士の将棋があっさりしていることを不思議に思うのだ。
統計を調べたわけではないが、平均手数も短くなっているのではないだろうか。
最近ようやく羽生、森内世代を脅かす存在として渡辺明が台頭してきたが、年齢差が14、5歳もあるのだから、これは誰かが出てきて当たり前のも云える。
20代半ばの棋士の停滞はどうしたことだろう。
一つには序盤があまりにも細分化されその情報の把握分析に精力をそそぎ過ぎるのでは、の考えもあるが、それだけではないだろう。
戦う気力に関係があるのではないだろうか。
昭和46年、奨励会の東西決戦で私は森安正幸三段に完敗した。
その棋譜は本誌に掲載され、解説者は有吉道夫先生であった。
その将棋、序盤でしくじった私は中盤早々に投げてしまった。
有吉先生はそのことがひどくもどかしかったようで、解説で厳しく諭された。
概要はこうである。
「昔ある中国の武人が、刀折れ矢尽き、手足をもがれれば眼光をもって相手を睨み、その目を潰されたなら舌(言葉)をもって抵抗したという」
それくらいの精神力がなければ、プロとして大成はおぼつかないということを忠告してくださったのだ。
闘魂の士、有吉九段は自らそれを実践し、60代でA級に在籍するという偉業をうち建てたのである。
愚かな私はその真意が身につかず、早投げの悪癖は容易に改めることができなかった。
云っていることは見当外れなのかもしれないが、もし思い当たる人がいるならば根性の将棋を指し、羽生世代に一泡吹かせていただきたい。
棋界では王者は大先輩、先輩、同輩、後輩、大後輩、を制して初めて真の第一人者になるという。
羽生や森内らがそうなるためには若手諸氏とのせめぎ合いが必要なのである。
早世された森安秀光九段は正に根性の将棋指しであった。
A図は森安が中原に挑戦した第42期棋聖戦最終局での一コマである。
森安らしく陣形は大いに乱れ、ここではどう見ても穴熊側が良い。
実際には見た目ほどの差はないのだが気の早い者ならば敗戦ムードに包まれてしまうだろう。
そうして、攻め合うならば▲4四歩だろう。
しかし、森安は大して悪いと思っていないから、全然あきらめていなかった。
ここで平然▲9八歩と打ったのだ。
普通のプロ感覚でいえば、これは「無い手」として見えてはいても読まない手の類なのだ。
だが冷静な目で見れば、この手以外は早く負ける。最も勝負を長引かせる手がこの歩打ちなのである。
長引けば山あり谷ありで逆転の可能性も拡がるというわけだ。
根性の士、森安は常識などには惑わされない柔軟な脳細胞の所有者でもあったのである。
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私の将棋も粘らない将棋なので、A図の局面であれば▲4四歩~▲4五桂~▲5四銀のような手順で玉砕の道を選ぶと思う。
そういった意味でも、A図からの▲9八歩は凄い一手だ。
だるま流・森安秀光九段の真骨頂。この一局に勝ち、森安秀光棋聖の誕生となった。
△9八同成香▲同香△9七歩としても▲8七香の田楽刺しがある。
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1971年の奨励会東西決戦の真部一男三段-森安正幸三段戦では、真部三段が中盤早々に投げている。
私が生まれて初めて買った将棋世界(1971年11月号)にその記事が載っていたので、強く印象に残っている。