深夜の森雞二九段と郷田真隆棋聖(当時)

昨日の続き。

将棋世界1999年5月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

 早いものでもう桜の季節となった。

 とはいっても相変わらず土中の虫のような暮らしをしている当方にとっては、世間の出来事のような感じだ。

 これでも10年程前までは人並みに花見に行ったりもしたのだが、随分と昔のような気もする。その時々の花を愛でる、鷺ノ宮の先生の風雅さを思えば、何とも殺風景な話である。我が陋屋の窓から神宮の杜の端っこが見えるには見えるのだが、大したこともない。

 こんな暗い書き出しで鬱のように思われるかもしれないが、さにあらず、機嫌が良いのである。順位戦の最終局を凌ぎ、助かったからである。終わってからいうのもそらぞらしいが、今期は9局目に西川七段に敗れた時点で肚が据わった。

 これまでも幾度となく降級がらみの勝負をしてきたが、A級の時は別として、どの勝負も他者の勝敗がこちらの結果に微妙に影響するといった状況であった。

 ところが今度ばかりは自分が勝てば助かり負ければ落ちる。まさに単純明快、一目瞭然の勝負であった。

 覚悟が決まっていたから勝敗は結果にしか過ぎないが、思いの外勝敗を心配してくれる後輩がいて、やはり勝てて良かったとしみじみと思った。

 そんな勝負が終わってから1週間後、寓居で楽しいメンバーと酒を呑みながらのクイズ大会で遊んでいると、深夜バックギャモンの下平氏より電話がかかり、今、森雞二、郷田真隆と一緒で、森さんがそちらに行きたがっている、とのことである。その日はB級1組順位戦の最終局で、森は降級、郷田は昇級がかかった大一番があったのだ。結果はご承知のように両者めでたしめでたしであった。そんなめでたい人達を断るはずがない。どうぞいらっしゃいと来ていただいた。

 モリ・ケージといえば古くは坊主頭の名人戦、また私生活でのカジノ好きはつとに知られたところである。あろうことか深夜のテレビ番組では、芸能人にギャンブル指南をしているほどの剛の者である。

 この御仁が加わっては、クイズなどという得体のしれない種目で場が収まるはずがない。私はこの日も覚悟せざるを得なかった。何しろ敵は強いのである(体力が)。勝つまで終わらせてくれないのだ。そこで私は牽制球のつもりで、むなしい言葉とは知りながらこう云った。

「森さん、僕はニコラス・ケージという俳優は好きだけど、あなたはニクラシ・ケージです」。これで少しは酔いが醒めるかと思いきや「君は頭がいいね、どうしてそういううまいことを云うの」と益々ごきげんになってしまったのだ。

 考えてみれば、それはそうだろう。大阪で戦っていたライバルが負けたお蔭で助かったのである。機嫌の悪かろうはずがない。郷田の方は淡々としていたが、遂に最終ステップまで昇りつめたのだから気分は良いに違いない。

 そうして、水の方円の器に従うが如く、ごく自然にサイコロは振られ、夜は更けていったのであった。

 追記。この夜珍しくモリ・ケージはワガママも云わずニコヤカ・ケージに変身して、お賽銭を置いて成仏してくれたのであった。

——–

”ニクラシ・ケージ”、本当にうまい言葉だ。

真部一男九段は、以前からニクラシ・ケージという言葉を思いついていたのだろうか、あるいはこの場で思いついたのか。どちらにしても凄い。

——–

今回は順位戦で対局日が一緒だったということもあるが、森雞二九段は弟弟子の郷田真隆王将の若い頃の重要な対局の日には、対局場に顔を出すことが多かった。

四段昇段が決まった日→1990年3月、郷田真隆四段誕生の日

1992年棋聖戦五番勝負→真部一男八段(当時)「将棋のことを聞いてもいいか」

1992年王位獲得の時→郷田真隆棋王誕生

さりげなくいるところが、森雞二九段らしいところ。

——–

良い意味での昔の不良っぽい魅力を持っている森雞二九段と真部一男九段。

この二人の組み合わせのエピソードも多い。

先崎学五段(当時)を飲みに誘った羽生善治棋王(当時)

真部一男八段(当時)が語る森雞二九段