近代将棋1982年6月号、木屋太二さんの米長邦雄棋王-櫛田陽一アマ五段(角落)観戦記「天才の世界」より。
今月の挑戦者は東京の櫛田陽一君。17歳。17歳といえば少年である。しかしこの少年、ただの少年ではない。いま売出し中の天才少年である。最近のアマ棋界における彼の成績を紹介しよう。
正月の都名人戦で優勝。2月の全国アマ王将戦で2位。そして4月の支部名人戦東地区大会で優勝と勝ちに勝っている。本誌の棋界ニュースによれば、櫛田君はいきつけの御徒町将棋センターで56連勝という新記録をつくったとのこと。まさに恐るべき少年である。
―将棋をおぼえたのはいつ?
「3年前、中学生のとき。漫画の『5五の龍』を見て興味を持った」
―それでこんなに早くトップレベルになれるの?
「それがなっちゃったんです。去年はまだ初段くらいだったから。将棋っておもしろいですねェ」
この話をきいて、うらやましいと思わない読者はいないだろう。将棋っていうのはなかなか上達しないものだから。
現在櫛田君は無職。つまり高校へ進学しなかった。将棋ばかり指している毎日らしい。といって奨励会へ入る気もないらしい。朝日アマ名人の中村千尋さんとこんな会話をかわしているのをきいたことがある。
中村「プロになったら。君なら奨励会の1級くらい合格するよ」
櫛田「ええでも……。プロになっても万年四段でくすぶったら嫌だから」
伝えきくところによると、この櫛田少年将来は小説家になりたいとのこと。そのうちどこかの文芸誌で新人賞をとるかもしれない。そのときは将棋の小説も書いてくださいネ。
(以下略)
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高校へ進学せず、奨励会に入る気もなく、将棋ばかり指している毎日。大胆不敵な恐るべきアマ天才少年。
ところが実態はやや違っていた。
櫛田陽一七段が、2014年の「NHK将棋講座」でこの頃のことを書いている。
私は家庭の経済的事情もあって、(奨励会に)合格するかどうか難しいのならあきらめようと思った。
この後の私は中学を卒業してから進学せず、アルバイトをしながら将棋をする生活を送っていた。プロになるという道はあきらめたが、将棋以外に熱中するものがなかったから、ひたすら将棋ばかり指していた。
将棋ばかりやっていたせいか、将棋の棋力はどんどん上がっていった。その年に赤旗名人戦の東京代表になり、全国大会で4位に入賞した。この全国大会の3位決定戦の観戦記を書いてくださったのが師匠の田丸昇九段である。
(中略)
このときはプロになりたいという気持ちは少しあったが、経済的にも私の家庭では楽ではなかったので、奨励会に入会しても収入を確保することもできないし、四段になる自信もなかったのであきらめてしまった。15歳のときだった。
経済的な事情で奨励会に入ることができない子どもたちはかなりいると思う。
家庭が裕福でなければ将棋のプロになることができない。このようなことがないよう、将棋連盟は何か考えていかなければいけないと思う。すべての子どもたちに対して平等にチャンスを与えることを考えてほしいと思う。
この赤旗名人戦で4位になってから17歳までの2年間はかなり将棋の勉強をしたと思う。同年代の奨励会員にも私ほど勉強をした人はいないと思う。このときの勉強の貯金が17歳のときに結果として出た。
(中略)
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奨励会に入ればアルバイト禁止になるので、奨励会入りを躊躇してしまう気持ちはよくわかる。
「プロになっても万年四段でくすぶったら嫌だから」というのは、櫛田陽一少年の精一杯の強がりだったのだろう。
入りたいし入る実力もあるけれども、入ったら経済的にもっと苦しくなる……17歳の少年にとってはあまりにも切ない状況だ。
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周りの人たちの後押しもあり、櫛田陽一少年は、この翌年、奨励会に1級で入会することになる。
中略後の続き→櫛田陽一六段のプロ挑戦を決意させた谷川浩司名人との一局(NHKテキストView)
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