将棋世界1979年5月号、毎日新聞記者・加古明光さんの第37期名人戦〔中原誠名人-米長邦雄八段〕第2局盤側記「中原、大ピンチ」より。
中原名人はくったくなかった。3月28日、昼前の上野駅15番ホーム。こちらが着くより前に、ホームに立ち、にこやかに話しかけてきた。
激闘197手の末に逸した第1局の後遺症などどこにも感じられなかった。この人には同行していてハラハラするようなことはまずない。そこへこの笑顔。第2局、山形県天童市へ向かう直前である。
体力の消耗を少しでも防ぐため、今期の名人戦はできるだけ空路を利用することにしている。山形にも1日2便ジェットが飛んでいる。だが、便が少ない上に、気象状況でいつ運行中止になるかわからない。そこで往路はより確実な”レールの上”に頼った。今回は珍しく女性同伴だ。観戦記担当の放送作家、林秀彦氏の夫人で女優の冨士眞奈美さん。富士さんも将棋好き。そこで「ご一緒にどうぞ」。
一方の米長八段。「はやてのように現われ、はやてにように去るから、今期七番勝負の行動は自由にさせてくれ」の注文が出ている。
(中略)
対局室にデンとすえられた七寸盤。通常の対局盤より少し背が高い。そこで中原は前日のうちに座布団をもう少し厚くしてほしいと注文を出し、厚めの座布団。米長は2枚重ねるからいいと、本当に当日、2枚重ねた座布団の上に座った。中原がまだ姿を見せない時「これから1勝するごとに1枚ずつ増やしてくれませんか」「笑点みたいになっちゃう」。もっとも対局がはじまると、米長はきちんと1枚の座布団に戻した。
立会い、丸田九段、副立会い、石田七段。前夜祭で「まもなく八段になられる人」と紹介されて拍手を浴びていた。
(中略)
封じ手後、中原はインタビューを受け、米長はさっとリラックスした格好になり、近くのゴルフ練習場へ。この人も忙しい人だ。1時間ほどたたき、夕食時間にホイホイと戻ってくる。第1局の時もホテルの近くに練習場があるからと出かけた。パッと気分の転換を図りたいらしい。それにしても対局とゴルフに、さっとチャンネルを切り替えるあたり、現代棋士の面目躍如というところ。
2日目。朝から市議選の候補者を乗せた宣伝カーが走り回っている。「この前での連呼やめさせましょうか」と旅館側。まあ、考えてみれば、向こうも必死の選挙戦。やりたいようにさせておくしかあるまい。
丸田九段が白い封筒にハサミを入れた。封じ手は、やはり5九飛。冨士眞奈美さんが、多くの関係者のうしろから身を乗り出すように見ている。彼女は仕事のため、この日午前中に帰京したが「タイトル戦を初めて観戦できて、とっても楽しかった。また見せていただけますでしょうか」と感慨深そう。
米長も5九飛を予想していたのか、少考で2六角と飛び出す。飛成を甘受して3一金。これが対加藤戦と違う手。加藤戦で米長は3一銀と引いた。「勝った方が変化に出るものです」と丸田九段。控え室でさっそく石田七段も加わり検討がはじまる。石田七段といえば前夜、旅館の妙齢の娘さん二人をつれて、夜の天童に出かけ、カラオケバーで歌ってきたようだ。おかみさんが「娘がお世話になっちゃったんですよ」言う。本人は何も言わない。この人もやるゥ。
(以下略)
——–
中原誠名人はこの第2局に敗れ、出だしから2連敗と大ピンチ。
第3局に勝って、第4局が有名な▲5七銀の絶妙手の一局。
——–
旅館の娘さん二人を連れてカラオケバーへ行った石田和雄七段(当時)、この当時はもちろん独身時代。
石田和雄九段のカラオケの十八番は「新潟ブルース」と言われている。また、1992年の駒音コンサートで石田九段は「冬の旅」を歌
っている。
天童のカラオケバーでも、この2曲は歌われた可能性が高いと思う。
——–
今日のNHK杯戦、稲葉陽八段-高見泰地五段戦の解説は高見五段の師匠の石田和雄九段。
NHKで年に一度の石田節を聞くことができる日で、私はとても楽しみで仕方がない。