”天皇”と呼ばれた大経営者が一瞬で魅せられた名人戦

将棋世界1980年7月号、加古明光さん(毎日新聞社)の第38期名人戦〔中原誠名人-米長邦雄王位〕第3、4、5局盤測記「中原、大きくリード」より。

 第5局の対局場は、静岡県袋井市の「葛城北の丸」という場所。事前に七番勝負の日程を発表した時、大方は対局場所を納得した。

 ただ一つ「ここはどういうところ」と質問を受けたのが、この”北の丸”だった。よほどのレジャー通でなければ、ここを知らない。オープンして、まだ新しい。1年半だ。といって、それほどPRしているわけでもない。それに、正直なところ、一サラリーマンが出かけるには、規模が大きすぎる。

 遠州灘をのぞむ広大な丘陵地を生かしてゴルフ場がつくられ、その一角に一万坪の緑を生かして出来たのが「葛城北の丸」だ。

(中略)

 経営の母体は、高級レジャー施設に力を入れているヤマハこと、日本楽器製造株式会社。ヤングに人気のある「合歓の郷」や「つま恋」も同系列で、新婚カップルにうけている南西諸島の施設も同じだ。

 舞台裏の話を少しさせてもらうと、この施設を初めて見たのが昨年秋。音楽の仕事で宿泊したのだが、泊まってすぐ連想したのが、木村-塚田の皇居済寧館の名人戦だった。史上、ただ一度の”お城将棋”である。厳密なお城将棋ではないが、この施設を使えば、それに似た雰囲気が生まれるのでは、と思った。

 日本楽器側の快諾を得た。さらに、オープン以来、他人に開放したことがないという川上源一同社会長の”奥の院”「梅殿」を対局室とするおまけまでついた。下見を終えて、第5局が、対局者のお気に入りになるだろうという自信が生まれた。

(中略)

 第5局は通常の対局と、もう一つ違ったことがある。対局室に茶菓を入れる和服姿の女性は現地の女性ではなく、日本楽器・東京のOL二人。つまり二人の女性も名人戦一行のスタッフというわけで、食事は同席。これまで男っ気ばかりで食事をとっていたが、今回は華やかさが加わった。

(中略)

 今回は場所の都合もあって、一般への大盤解説をしなかった。それでも熱心なファンはいる。日将連浜松支部の渥美支部長もその一人。二日目は、北の丸に泊まり込みで観戦している。

 もう一人が、日本楽器の川上会長。対局室の”主”とあって、昼食休憩再開後に観戦してもらった。もともと嫌いな方ではないらしいが、真剣な二人の表情にすっかり魅せられてしまったようだ。対局室に入るのは「おそれ多い」と取材本部につめかけっぱなし。大内八段の特別解説にうなづいたり、感心したり。のちのことになるが、この会長「対局者をねぎらいたいから、打ち上げの席にも出たい」 また翌日予定されている米長らのゴルフに「私も加わりたい」と、もう夢中。世界的な楽器メーカーの会長として、財界でも大物の一人だが、これほど一日の将棋に魅せられてしまうとは―。大内八段が言った「うれしいですねえ、こんなに熱中してもらうと私たちもやり甲斐がある」

 夜戦になって一進一退が続いた。中原がやや指し易いようだが、決め手がない。

(中略)

 中原の打った3九角が、いつでも6六角成と質駒の金を手に入れる型になっているのが痛い。

 このあたりで控え室の検討が打ち切られた。「中原勝ち」と出た。10時15分、米長が投了を告げた。すぐに検討に入った。くだんの会長も対局室の周囲を行ったり来たり。そして言う「どこで決定的となったのか、二人がどういう読みをしているのか聞きたい」

 だが、検討が1時間半も続いて、この68歳の会長もさすがに疲れたのか、途中で自室に引きあげた。

 翌日、対局場に隣接する葛城ゴルフクラブで、米長、大内の二人は川上会長、所属の女子プロとラウンドした。中原も帰京前に、ゴルフ場に姿を見せた。楽しいプレイだった。ラウンド中に、会長が前夜の疑問を、対局者にぶつけたかどうかは、知らない。

 とにかく、これで中原は米長をカド番に追い込んだ。米長の奮起が次に出なければ―。

(以下略)

yamaha
将棋世界1980年7月号掲載の名人戦第5局控え室の写真。

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上の写真の右側の普通のオジサンに見える男性が、”ヤマハの天皇”と呼ばれた川上源一会長(1912年-2002年)。

川上源一氏は、1950年に日本楽器製造の社長に就任以来、

  • 製造ラインの合理化に努め、ピアノ生産量で世界一の座に
  • オートバイ事業に進出し、ヤマハ発動機を設立
  • 日本で初めて電子オルガンを開発、「エレクトーン」の商品名で発売
  • 財団法人ヤマハ音楽振興会を設立

など、非常に大きな実績を残している。

1977年に社長を退き会長となったが、後任の河島博社長と経営方針などで対立し、この名人戦第5局(5月21、22日)の後の6月の臨時株主総会で河島社長を解任し自らが社長に復帰している。(河島博氏はその後、1982年にダイエーの副社長に就任しV字改革を進め、1987年にリッカーの管財人社長、1989年にダイエー副会長に就任している)

マッキンゼー・アンド・カンパニー時代にヤマハへのコンサルティングを担当した大前研一さんによると、川上源一会長は、ワンマンで偏屈で変わり者、人当たりは”超”悪いが、戦後日本の経営者の中でもっとも個人能力が高かった人と評している。

加古明光さんの文章を読んでいると、川上源一氏の何とも言えないような強烈な個性と魅力が伝わってくるような感じがする。

そして、そのような経営者を魅了した名人戦の対局。あらためて凄いことだと思う。

大前版「名経営者秘録」(4)-川上源一さんの「音楽は好きか?」(PRESIDENT Online スペシャル)

大前版「名経営者秘録」(5)-川上源一さんの「後ろを向いて報告しろ」(PRESIDENT Online スペシャル)

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第27期竜王戦第4局対局場「葛城 北の丸」