真部一男八段(当時)「将棋指しが変わって見えるのは、通常よりも右脳を使う頻度が高いので、その分左脳を使い切っていないせいかもしれない」

将棋世界2001年4月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

 この間、観戦記の大ベテラン田辺忠幸氏と雑談していて、何の話の流れだったか、将棋指しは変わっているからねと笑顔で云われ、そうですね、と妙に納得させられた。

 田辺さんは50年以上も将棋の世界と関わってこられ、週刊将棋紙上でも将棋界に対して数々の提言をしてくださる貴重な御意見番である。

 だから言葉に説得力がある。

 変わっているということの本質的な意味は後で述べるが、確かに思い出してみると一風変わった先輩が多かった。

 故人となられた方々の思い出を少し綴ってみよう。

 高田丈資七段は「今日は何にちでしたっけ」と聞かれ、腕を大きく回して腕時計を見る。そして何にちであると答えた。

 その腕時計に日付機能はない。

 松下力九段が麻雀を打ちながら塾生に「君、赤い色のついた水を買ってきてくれ」と注文する。塾生は咄嗟には何のことか分からずとまどっていたが、これはオレンジジュースと判明した。

 松下先生によるとレコード盤は「音の出る丸い板」であった。

 ある時、私に話しかけてこられ「芹沢君は連盟のスポーツマンだね」とおっしゃる。はて運動とはほとんど無縁の芹沢が、そうしてスポーツマンなのか、これはスポークスマンという意味だった。

 梶一郎九段も麻雀好きで、ある日、奥さんが外出して赤ん坊の世話を任された。

 梶先生、何としても打ちたい。

 そして見事に二役を演じた。

 手では麻雀を打ち、足で赤ん坊を器用にあやしたという。

 見ていた仲間が、やっぱり梶(火事)が天才(天災)だと云ったとか。

 エピソードはこれくらいにして、何故将棋指しは変わっているかの話に戻る。

 欠落が才能の源泉になるという説がある。

 ヒトは胎児の頃、七週間まではすべて女性であるという。

 その後、男性ホルモンであるアンドロゲンが全身にシャワーのように注がれ、男性としての機能が生じる。

 その際、脳にも変化が起き、左脳の働きが抑制されるらしい。

 そのため発達が遅れた左脳を補うために右脳が使われるようになる。

 以前、大脳生理学の品川嘉也教授の実験で、羽生、谷川をはじめとする棋士十数人が被験者となり、将棋を考えている最中の脳の働き具合を調べた。

 結果は全員が活発に右脳を働かせていることが分かった。

 芸術、科学の分野で男の活躍が目立つのは、左脳の不十分さにより右脳が活性化されたことによるのかもしれない。

 視覚に障害のある人の聴覚や、皮膚感覚が秀れているのと似ているのだろうか。

 先の実験でアマ五段の人にも詰将棋を解いてもらったのだが、右脳が働いた形跡がなく、もっぱら左脳が活性化していた。これによればプロとアマは脳の使い方が違うようである。

 右脳は空間把握や感覚的な分野を司り左脳は言語、理論的な分野を司るといわれている。

 将棋指しが変わって見えるのは、通常よりも右脳を使う頻度が高いので、その分左脳を使い切っていないせいかもしれない。

 しかし、そうだとすると社会的なこともきちんと振る舞える羽生や谷川の脳はどういう働きをしているのだろう。

 もしかして日常的にとても可愛い面があるとすれば何となくほっとするのだが。

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「欠落が才能の源泉になるという説がある」。

これはたしかにそう思う。

欠落した部分に本来あるべき栄養のようなものが他の部分に回って、その栄養のようなものが回ってきた部分が非常に優れていたり魅力的なものになったりする。

棋士に共通する愛すべき魅力、純粋さもこのようなところが根源の一つになっていると考えて良いだろう。

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松下力九段の事例は、あまり変わっているとは思えないのだが、これは私も変わっているからだろうか。