将棋世界1998年10月号、高橋道雄九段の村山聖九段追悼「村山将棋、恐るべし」より。
現棋界は、4強時代と言われる。
谷川竜王、佐藤康名人、羽生四冠、それに郷田棋聖である。
では、5番目の男は誰か?
森内八段、丸山八段、森下八段等々、強豪が犇めく中(現状では、高橋と書けないのがとても寂しい)、私は敢えて村山八段の名前を挙げたい。
順位戦を除く三リーグ(王位・棋聖・王将)の常連であり、竜王戦でも休場にならなければ、かなりの活躍を見込めたであろう点も合わせ、安定度抜群である。
その村山八段の将棋は、一口に言って『剛』である。
もっとも、序盤戦から力強い指し口で相手を自らのペースに引きずり込もうとする「剛腕」大内九段や森雞九段とは棋風を異にし、序盤戦術はよく洗練されていて、至ってスマート。
居飛車・矢倉を主軸とし、後手番の際によく用いる振り飛車も、昨今の藤井システムに代表される、自ら戦いを起こす激しい指し方でなく、あくまでオーソドックスで、軽快な捌きを信条としている。
『剛』のイメージは、類稀な終盤力に起因する。
◯終盤は村山に聞け
この異名通り、村山将棋は終盤が非常に切れ味鋭い。
代表局を三例挙げてみる。
1図は、前記B級1組順位戦、対青野照市九段戦。
ギリギリの寄せ合いだ。
ここで△7二歩ではなく、△7二香と打ったのが、深謀遠慮の好着。
以下、▲4八銀△7六歩▲8八馬△4四角▲6六歩(▲同馬は△8七香成以下詰み)△6二馬▲6五歩△同銀▲3九歩△7七銀(2図)と進んで寄せ切った。
7二の香の利きが素晴らしい。
3図も前期の順位戦、対森雞二九段戦の最終盤。
やや苦しい将棋を粘りに粘って勝負形。
▲4四飛は、6四から後手の4四の歩を取りながら来た手で、△3六桂と来れば▲1七玉と上がり、その際に飛車の横利きが大きいと判断したものだったが。
3図以下、
△1七角!▲1八玉△1六香(4図)
まで、村山八段の勝ち。狙いの強打、必殺の△1七角が炸裂。
先手玉は、いっぺんに必至である。
恐らくは、我が身の勝利を信じて疑わなかったであろう森九段にとって、3図からたった3手で投了に追い込まれようとは夢想だにしなかったに違いない。
5図は竜王戦の対森下卓八段戦。
矢倉の最新形である。
ここから▲5五歩と突き、40数手を森下八段の研究のままに進み、6図。
この局面を、森下八段は後手有利と踏んでいたが。
6図から▲2五香△3三銀▲2三香成△同金▲2五桂………と進み、先手快勝。
▲2五香が、森下八段の研究を粉砕する妙手だった。▲2三香成などは、正に力で敵陣の守りをこじ開けるといった感じだ。
(つづく)
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村山聖九段追悼号での高橋道雄九段の渾身の執筆。
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対森雞二九段戦の3図からの△1七角。
平穏な日常に、突然爆弾が落とされたような衝撃。
▲同香は△3六桂から、▲同玉は△1六香▲2八玉△3六桂以下詰み。
なかなか気が付きにくい手だが、凄い手があったものだと思う。
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対森下卓八段戦、40数手を森下八段の研究のままに進んで用意していた手を繰り出すところが格好いい。
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対青野照市九段戦の1図からの△7二香。
▲7一金と打たれて困るように見えるが、先手の持ち駒に角や銀がないので後手玉に詰みなし、△5八とからの攻撃の早いため、先手は▲4八銀と手を戻さざるをえない。
この対青野九段戦は、1997年度B級1組順位戦の最終局。
村山聖八段(当時)のA級復帰は既にラス前で決まっている。
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1997年度B級1組順位戦最終局(対青野九段戦)が終わった後の村山聖八段(当時)の様子。
将棋世界1998年5月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。
私も帰ろうとしていると、村山君に誘われた。平藤、藤原両君も誘い、うまい屋台へ行こうと言う。藤原君が気を遣い「寒いから、それは悪手でしょう」と言ったが、村山君はうなずかない。妙に頑固である。そして屋台に行ったが、あいにく満員で入れない。しばらく粘ってみたが席が空かず、近くのラーメン屋に入った。
村山君の体調については特に話をしなかったが、今月あと数局指し、4月から広島に帰って静養するそうだ。私には言うべき言葉がない。美味しそうにチャーシュウを食べているのを見ているだけだった。午前3時ごろまで居て、平藤・藤原両君とは店の前で別れ、村山君とはホテルの前で別れた。しばらくは会えない、と思うと、こみ上げてくるものがあった。
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村山聖九段が亡くなるのはこの5ヵ月後。
3月の寒い夜の、胸が締めつけられるような情景。