将棋世界2003年1月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
A級順位戦の2局が特別対局室で並んで戦われている。それは珍しくないが、2局が仕掛けるまで同型だった。どういう気持で指しているのかね、と観戦記担当のライター諸氏はいちように首を傾げている。
戦型は7図のような基本型。
7図以下の指し手
▲4五歩△同歩▲3五歩△4四銀▲1五歩△同歩▲2四歩△同歩▲7五歩△同歩▲2四飛△2三歩▲2九飛△6三金(8図)これは定跡手順。どうでもいいことを書けば、この手順中の△4四銀は丸田九段の創案で、指された当時はあまり評判がよくなかったような気がする。なにしろ50年も昔の話で、私が奨励会に入る前に勉強した形だからよく覚えているわけではない。その後すたれたが、後手の応手が研究され、すっかり中味を変えて甦った。ただ先手の攻め方はいぜんと同じで、▲4五歩以下、3、1、2、7筋の順に歩を突き捨てるのがポイント。
8図まで2局同型。さらに、▲1二歩△同香も同じで、次の手から変わった。
羽生竜王対郷田九段戦で、郷田九段が指したのは▲3四歩の取り込み。これは昔の指し方だそうである。
丸山九段対三浦八段戦の方は、これを見てか丸山九段が手を変えた。
(中略)
羽生対郷田戦は、10図となっている。
8図からここまで、途中2時間近い長考があったりで、遅々として進まず、研究陣も退屈していたが、10図まで進めば、最後まで読めると、にわかに活気づいた。
10図は、次に▲2三飛成とやっても一手すきでないから先手負ける。で、郷田九段はひねった指し方をした。
10図以下の指し手
▲6八金△7六歩▲5八金△7七歩成▲同桂△7八歩▲同玉△6九銀▲8八玉△8六歩▲同歩△5八銀成▲2三飛成(11図)いったん▲6八金と寄って受ける。この手に26分使って、残り15分となった。
竜王の方は時間に余裕があって、まだ2時間弱残っている。だから腰を据えて読み切りにかかった。
見ていると、たしかに真剣に考えている。しかし、勝負を争っている、といった切迫したものが感じられない。何か高等数学の難問を解こうとしているみたいだ。勝ち負けより将棋の内容が大事、ということなのだろうか。
やがて△7六歩が指された。
この手とこれ以後は、すべて控え室の予想通りに進んだ。もちろん郷田九段も読んであり、ノータイムで▲5八金と取った。これで勝ちと思っていたのである。つまり、自玉に一手すきが続かない、と見ていたのだ。
ところがそうでない。控え室ではうまい筋を発見していた。
△7七歩成から△7八歩の打診がうまく、▲同玉と取らせて△6九銀と打つ。これに対し、▲8九玉は△7七馬だから▲8八玉と逃げる。そこで△8六歩と突き捨てを入れてから、黙って△5八銀成がうまい。実戦心理としては、△8七歩と叩き、▲同玉に△5八馬などと指したくなるが、そういった順は一手すきがつづかない。継ぎ盤でいろいろやって、結論が出ないでいると、すこし離れたところから松尾五段が、実戦で指された△5八銀成を指摘した。11図が一手すきと言うのだ。
その詰み筋は一同すぐわかった。勝又君が感心して「寄せは若い人にまかせるにかぎるね」。
それを聞いた田中(寅)九段が「どう指すの?」と正解を聞き、10図を経て最後の詰みまでを盤に並べて確認した。そして「年寄りは念を入れなきゃわからない」。長年の経験がそう言わせた。
11図以下の指し手
△8六飛▲8七角△7八金 まで、羽生竜王の勝ち。郷田九段はどこかで(多分11図の▲2三飛成のところだったと思う)自分の誤りに気がついた。しかしそのときは手遅れだった。▲2三飛成のときは、負けを覚悟していたらしく、△8六飛に▲8七角合いと見せ場を作り、きれいに負けた。
最終△7八金が好手で、▲同玉は△6九馬だし、▲9七玉は△8七飛成以下詰み。
夜の11時と割り合い早く終わり、となりが対局中なので、第2対局室の方に移って感想戦となった。
研究テーマは、当然のように仕掛けの直後で、郷田九段は、そこでの指し方がまずかったと言う。研究は延々とつづき、実戦とまるで違う局面が調べられた。
実は気になっている局面がある。それは10図で、▲6八金△7六歩のとき、▲8八銀と引く手で、控え室の研究では、これが意外に難しかった。しかし、郷田の棋風では、そんなひどい利かされは考えもしないだろう、と思った。
(中略)
終わると私は忙しい。羽生対郷田の感想戦も気にかかる。で、第2対局室へ回ると、さすがに中盤の研究は終わり、観戦記者に寄せ合いの説明をしているところだった。
ちょうどよいと、気にかかっていた、10図からの▲6八金△7六歩のとき▲8八銀と引く手を訊いた。
羽生竜王はすぐ「△8六歩▲同歩△8七歩▲同銀△8八歩で私が勝ちでしょう」と答えた。ところがその後に控え室で発見されていた、うまい受けが先手にあって後手は容易に勝てない。両対局者とも読んでなかったらしく「えっ!?」と驚き、さっそく調べだした。
それからが大変だった。考えられるありとあらゆる手を徹底的に調べ出した。その変化手順のすべてを書けば、記号だけで2頁は埋まる。いっそそれを書きつらねれば、感想戦の雰囲気は伝わるのかもしれない。
調べること1時間あまりで、まだ終わらない。疲れはてていっとき老人席へ退避し、再び戻ると、やっと結論が出たところだった。
▲8八銀には、△8六歩▲同歩△7七歩成▲同銀△7八歩と、聞いているだけで眼がくらくらする手順で、後手が勝ちなのだった。
「しかし」と郷田九段が言った。
「ド利かされの▲8八銀が実は第一感だったんです。ただ、▲5八金で勝ちと読んでいましたからね。銀引きは深く考えなかった。難しいと言ってもしょうがない」
「腰掛け銀」は、仕掛けで勝負が決し、終盤のない戦型と言われている。今日の2局を見ては、その常識もウソということになる。将棋はやっぱり終盤なのである。
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昨日の第30期竜王戦決勝トーナメント 佐々木勇気五段-藤井聡太四段戦の感想戦、かなり細かいところまで検討が行われていたが、藤井聡太四段戦の帰りがあまり遅くなってはということで、感想戦は途中で打ち切られたようだった。
ところが、佐々木勇気五段が駒を駒箱にしまっている最中も、二人の感想戦は口頭だけで続けられた。
まだまだ話し足りないこと、検討したいことがあるのだろうな、と思ったが、時間が無制限にあれば、この時の羽生善治竜王(当時)と郷田真隆九段の感想戦のようになっていたのかもしれない。
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この時の羽生善治竜王(当時)と郷田真隆九段の様子、あるいは昨日の佐々木勇気五段と藤井聡太四段の様子、それぞれ二人で一緒に研究会をやれば素晴らしいのに、と思えてくるが、なかなかそうもいかないのが勝負の世界。
感想戦の世界も、ある意味では不思議だ。