棋士が出題する戦慄の棋士クイズ

将棋世界2003年3月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目・2」より。

 毎年恒例の指し初め式が1月6日に行われた。

 東京では、特別対局室に将棋盤を一つ置き、関係者が入れ替わり立ち替わりして一手ずつ進めていくらしいが、関西ではちょっと違う。イラチ(短気)の関西人気質のせいかどうかは知らないが、将棋盤を御上段の間という立派な部屋に並べられるだけ置き(確か12面あった筈)どの盤の前でも座ってよい。一回で24人ずつ進んでいくため、待ち時間はほとんど無いくらいだ。

 ただし、一人一手じゃないのがミソ。スイスイッと2人で相矢倉に組み上げても良いし、四間飛車で美濃囲いにしても結構。もちろん一手で交代しても良いのだ。この鷹揚な所もまた関西気質なのかもしれない。

 しかし、勝負をつけない所は東西とも、同じである。もうだいぶ昔の話だが、私と某若手棋士が指していて、私が王手飛車をかけてしまったことがあった。ギャラリーに大ひんしゅくを買ってしまったことは言うまでもない。

 さて、その後はこれまた恒例の宴会だ。理事の挨拶の後、乾杯の音頭は谷川王位の発声だった。

谷川「カンパイ、と言うのは将棋界では縁起が悪いですから、おめでとうございますでご唱和お願いします。では、おめでとうございます」。

一同「おめでとうございます」。

 と、始まった。いつもおもしろい挨拶を考えている人だ。

(中略)

 横のテーブルでは、神崎七段がとってもニコニコしている。

神崎「鹿野さん鹿野さん、聞いてくださいよ。このテーブルに居てる、浦野、南、平藤、神崎の4人を、生まれた順に並べよ。って村田君に問題出したんですよ」。

タマ「おーっ、それは難問やなあ、けど私はわかるけどね」。

村田四段「いや、難しいっすよ」(彼は村田女流2級のお兄さんだ)

平藤「神崎さんは自分が一番若く見られてご機嫌やねん」。

神崎「いや、村田君、君は見る目があるよ」。

平藤「見る目無いっちゅーねん。まちごうとるがな」。

タマ「エッと、南先生が6月で、平藤さん10月で神崎さんは11月?12月?。浦野さんは翌年の3月だっけ。みんな同い年でそんな質問するかなあ」。

神崎「私、12月です」。

タマ「井上さんも同い年じゃなかった?」

平藤「あっそうそう、1月やったなあ」。

 もうすぐ厄年になろうかと言う連中が、こんな事を言って若手をおちょくっている。

タマ「今年は、福崎先生が来てはれへんねェ」。

平藤「去年も来てへんよ」。

南「ウン」。

神崎「福崎先生がおらんかったら、なんか場が静かだと思いませんか」。

残りの人「ウーー(そうでもないと思っている)」。

神崎「福崎さんにはいつも神崎君はうるさいなあって言われるけど」。

残りの人「ウンウン」。

神崎「福崎さんが居てたらちょっと雰囲気がちごてると思いませんか」。

タマ「それはそう思う思う」。

平藤「それはあるかな」。

南「ウン」。

 話はエンエンと続きますが、福崎八段は、どう雰囲気が違う人なのか、謎を残したまま、今月はこれにておしまいです。なごやかな指し初め式の一日でした。

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谷川浩司王位(当時)の「カンパイ、と言うのは将棋界では縁起が悪いですから」。

これは、カンパイは完敗に通じるということで、将棋界では縁起が悪いとされている。

ある年の将棋ペンクラブ大賞贈呈式で乾杯の音頭をとった二上達也九段も、同様のことを話されている。

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浦野真彦七段、南芳一九段、平藤真吾六段、神崎健二七段(段位は当時)を生まれた順に並べよ、という問題を一層難しくしているのが、この4人が全員1963年度生まれであること。

4人の順列は24通りなので、いい加減に答えたとしても当たる確率は約4.2%しかない。

なおかつ4人が目の前にいるわけで、問題を出された村田智弘四段(当時)にとってみれば、気が遠くなってしまいそうなほどの状況だ。

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とはいえ、問題を出題する方の立場から見れば、非常に面白いクイズであることは間違いない。

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福崎文吾八段(当時)が、どう雰囲気が違うのか、現代では多くの人に知られるようになっている。

「雰囲気が違う」という表現が絶妙だ。

福崎文吾八段(当時)「これはなんとかして秘密にしとかなあかん」

 

 

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