将棋世界1982年12月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。
王位戦の七番勝負は、挑戦者の内藤國雄九段が、中原誠王位を退け、10年ぶりに王位の座を奪い返して9月下旬に終わった。その第3局目、福岡の「山の上ホテル」での開始前の朝だった。名女優・イングリッド・バーグマンの死が新聞に報じられているのを見て、対局室の話題はしばらく沸騰した。
関係者の一人が「うちの女房とそっくりなのに、惜しい人を亡くした」とひょうきんな口調でいえば、「どこらへんが似てるんですかね」と話題はどんどん進む。とにかく、この日の副立会人は板谷進八段だった上に、話術では棋界一の原田泰夫八段が正立会人だったので、ちょっとしんみりしがちな、こんな話も明るい方向へばかり進んで行くことになる。
観戦記担当だった原田史郎氏(神戸新聞の中平記者)が論説委員で一面のコラムを担当しているので「わし、バーグマンのこと書きたかったのに、福岡へ来るのでほかの人に書くのを代わってもらってきたのでしゃあないわ」と口惜しそうにいえば、盤上に駒を並べ終えた内藤が「なにを書こうと思っとったんや」と聞く。
「それはおかしなネタを持っているんや」と中平記者は得意げに話し出す。この人はいつも得意になると、いつも口にくわえているマドロスパイプからプカプカ煙をはき出すおかしなクセがある。
「バーグマンはな、”誰がために鐘は鳴る”でゲーリー・クーパーと共演したときに名言をはいたんや。バーグマンもクーパーも鼻筋が通って、しかも高い。だからキスシーンの撮影の段になって、バーグマンはちょっぴり困ってしまったというんや。そして監督に聞いた言葉がかわいいんや。『私の鼻、どっち向けたらいいんですか?』だってさ。若い時分のバーグマンはよかったなあ!」
中原も例によってにこにこ笑って聞いている。すると、内藤が中平記者の口元を指さして見事な質問をした。
「中平さん、あんたが奥さんとキスするとき、そのパイプは邪魔やないかあ。そんなときはどうしとんのや?」
対局前の緊張した場面なのに、一同大爆笑である。だが中平記者も負けちゃあいない。またパイプからプカプカ煙をはき出して、こういってのけた。
「なあに、こんなもん口の右端にずらしといてすればええやないか!」
奥さんとパイプと、いったいどちらを大事にしてるのか、変な人だ。だが、話はまだこれでは終わらなかった。感心したような顔をしながら、またまたいい返す。
「この前、芹沢さん(博文八段)が、中平さんについて『彼が論説委員になったんなら、論説委員なんて、誰でもなれるんだ』と悪口いっとったけど、パイプを右端に寄せてキスするというのはいい。さすがは論説委員や」
この二人は年齢も一つしか違わず、大の仲良し。将棋指しと新聞記者はこんなふうに楽しい仲間付き合いをする。
「では―」と原田。「対局開始を忘れてしまっては困るからね」に、室内に緊張がみなぎる。
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中原誠十六世名人と内藤國雄九段の組み合わせ、正立会人が原田泰夫八段(当時)、副立会人は板谷進八段(当時)、観戦記者が中平邦彦さん、主催社担当が能智映さんと、人が揃ったということもあったのだろうが、今では考えられないような昭和のタイトル戦対局前の光景。
古き良き時代そのものと言えるだろう。
「うちの女房とそっくりなのに、惜しい人を亡くした」は、板谷進八段が言っていそうな感じがする。
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イングリッド・バーグマン は1982年8月29日、67歳で亡くなっている。
イングリッド・バーグマンというと、私が思い出すのは映画『カサブランカ』。
社会人になって3、4年目の正月、仙台の実家に帰っていて深夜のテレビを見ていたら何気なく流れてきた映画。
とにかく最後のシーンが格好良くて、見終わった後も余韻が長く続く映画だった。
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何の期待もなく、無意識にテレビを見ている時にいい映画と出会うことも、僥倖と言える。
大学の頃、日曜日の午後などにテレビで昔の映画を放映していることが多かったが、この時に見て「この映画はなんと素晴らしいのだろう」と思ったのが、高倉健・池部良の『昭和残侠伝』。
それまでは任侠映画・ヤクザ映画はイメージ的に大嫌いだったのだが、この時は物語に引き込まれ、終盤の展開には鳥肌が立つほどだった。
『カサブランカ』と『昭和残侠伝』のそれぞれのラストに共通しているのは「侠気」。
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視聴率などの関係もあり、テレビ各局の番組表から映画の時間ががどんどん無くなっていってから久しい。
ネットの発達により、昔の映画を安価に見ることができるメリットは非常に大きい反面、今まで良さを気づいていなかった映画との出会いは、自分で能動的に探しにいかなければならない状況に変わっている。
そういう意味でも、非常に多くの作品が年間定額見放題のAmazonプライムは個人的にとても重宝している。
とはいえ、一旦見てしまうと、ブログを書く時間が圧迫されることが悩ましいところだ。