昨日からの続き。
将棋世界1985年2月号、「痛烈緊急座談会 若手と一流に差はあるか」より。
出席者は、田中寅彦八段、小林健二七段、中村修六段、高橋道雄六段、塚田泰明五段(段位は当時)。司会:本誌
―話題を変えますが、河口六段などがよく今の若手は型にはまりすぎるとか面白みがないとかいいますが、それはどうですか。
小林 僕の年齢ですと先輩がよく飲みに連れていってくれましたが、僕らは今の後輩にそういった事をしませんね。本当は後を受け継がなければいけないのかもしれませんがね。
―小林さんはその説に賛成なわけですか。
小林 最近の奨励会員でもね、この間トランプで金を賭けずに徹夜でやっているんですよ。それで面白いのかというと、相手に自慢できるから面白いんだ、というんですよ。(笑)それで金を賭けてやろうといったら”収入の違う人と金を賭けたら互角じゃないからやりません”とこうですからね。(笑)
―冷静というか。
小林 冷静より腹が立ちました。僕らの頃はバクチに負けて借金を作る、なんてあたり前だったもの。
田中 そう。だから借金がつらいから鈴木輝彦さんなんかは誘われたらやる前に3,000円出して”今日はこれで勘弁してください”(笑)なんてね。
―遊ばない代表の高橋さんはどう思いますか。
高橋 そんなの、個人の自由だと思います。自分自身の考えで生きているのですから、そんなことで文句をいわれる筋合いはない。
小林 別に文句はいってないよ。(笑)
田中 僕らは棋士ですから、将棋のマシンになるのが一番良いと思いますよ。でも棋界に対しての大志を抱いてないとまずいと思うんですよ。個性を世間にアピールできる人間で一流になりたいと思いますよ。将棋の田中、将棋の高橋というのはこういう人間だというのがすぐ分かるようにするのが義務だと思います。ですから遊びという事は別にしても、何か自分というものを出すことが要求されているような気がしますね。
―谷川さんも遊んでないでしょう。
田中 谷川君は周囲で決められたことをやったというか、可哀想だと思うんです。彼が本当に自由な遊びをする時間がありますかね。将棋の道に入ってからどう遊びましたか。あの作ったような笑い。塚田君達は本当に笑いますよ。谷川君は腹の底から笑いますか。
―そうか、あれは作った笑いだったのか。
田中 将棋はにらめっこだと思うんですよ。私は勝負の途中で何度も笑って失敗したけど、谷川さんは絶対笑わない。それが勝負に向いてるんじゃないかと思いますね。本気でワハハッと笑った時というのはおそらく朝日で僕に勝って家に帰ってから一人で笑った時ぐらいでしょう。(笑)若く四段になったので周囲は期待しますし、いざ遊びに行ってもあの顔は知られているから外では遊べないし、非常にすべての要素が将棋に良かったんじゃないですかね。
小林 谷川名人は大阪では僕の後輩でしたが、僕が遊びに連れて行ったらついてきたかもしれませんが、ようわからんかったですね。
田中 周囲がそうしているんですよ。
小林 その通りで、周囲で遊ぼうといいにくい感じでした。
―面白くない若手の代表といわれる中村さんはどうですか。(笑)
中村 ええ?面白くないですか、僕が。
田中 そうさ。このまま行って谷川浩司みたいな人間になったらどうする。
中村 僕は将棋中心にすべてを考えてはいますが、遊びもしているつもりです。
―でも人はそう見ませんよ。
中村 森安先生との対局ではその前日にジャパンカップがあったんですが、府中まであの寒い中を行ったんですよ。そしてその分を取り返そうと思って対局を頑張ったんですよ。
小林 でも君は夜を徹して酒を飲んだりバクチをしたことはあるの。
中村 それは…。ありませんね。
―遊びもしなくては一流になれないという意見にはどうですか。
田中 でも大山名人も中原さんを見てもそういうことをやって来たようには、とても思えませんからね。
小林 遊んで面白くてダメになっちゃった人の方が多いんじゃないかな。(笑)
―升田先生もそうやって名人を取ったんじゃないですか。
小林 芹沢先生はそんなことをいってますね。本人は遊んでダメになったけど。
高橋 でも遊びは個人の自由だと思いますけどね。
小林 米長先生みたいに何もかもやってそしてのめり込まないというのが一つの理想じゃありませんかね。米長先生はいろいろ知った上で自分にプラスにすれば良いといってるんでしょう。
田中 あの人は本当にうまく遊ぶね。
中村 遊べといっても…、いきなり人生を崩せといわれても困るわけです。
小林 そりゃそうだ。(笑)
田中 まあ人間顔が違うようにいろいろなケースがあっていいでしょうけど、事実としてまだ谷川浩司が学生名人だと思っている人がいますものね。やはりアピールするものがなくてはダメでしょう。仮に名人になって一代記みたいな本を出しますよね。その時そこにドラマがあれば面白いですが、谷川の”名人一直線”では優等生が自然に強くなっただけでほとんどドラマがない。これでは売れないしギャルもついて来ませんよ。それがつらいですね。
(以下略)
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遊んだほうがいいのかどうかは、人それぞれケースバイケースだと私は思う。
遊びたければ遊べばいいし、遊びたくなければ遊ばなければいい。要は自分のやりたいようにやれば良いと思う。
若い頃にたくさん遊んだ私の感想だ。
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「僕らは棋士ですから、将棋のマシンになるのが一番良いと思いますよ。でも棋界に対しての大志を抱いてないとまずいと思うんですよ。個性を世間にアピールできる人間で一流になりたいと思いますよ。将棋の田中、将棋の高橋というのはこういう人間だというのがすぐ分かるようにするのが義務だと思います。ですから遊びという事は別にしても、何か自分というものを出すことが要求されているような気がしますね」
田中寅彦八段(当時)のこの言葉は至言と言っても良いだろう。
もちろんなかなか難しいことだが、遊ぶ遊ばない関係なく、個性を発揮することは、特に観る将棋ファンが増えた現在は、更に必要になってきていることだと思う。
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ところで、この座談会が波紋を巻き起こす。
その第一弾が、将棋世界の同じ号での芹沢博文九段。
締め切りよりもかなり前に行われていた座談会のゲラを芹沢九段が読んで原稿に加えたのだろう。
将棋世界1985年2月号、芹沢博文九段の「放筆御免」より。
そんなわけで、クソおもしろくないからグァムに遊びにいった。
グァムはよい所であった。
いい気分転換をして、帰ってくると、「田中寅が、また放言をした」と教えてくれる者がいる。(編集部注 若手棋士座談会を指す)
田中は吾が弟弟子である、仲人もしたし、祝い事でもあれば呼んで酒を飲む可愛い弟分である、そういう男ではあるが、あまりに物を知らなすぎる。将棋のことをあれほど知らぬのではしょせん天下など取れない、谷川の年はいくつか、田中の年はいくつか。谷川のあの途方もない大きさを分からぬとはまったくなさけない。
将棋世界1985年3月号、芹沢博文九段の「放筆御免」より。
若手棋士とやら、お前さん等そんなに偉いのか、偉いんなら何処がどう偉いんだか教えてくれ。A級になっているのは田中寅とか云う余り聞いたことのない一人で、他の奴等、お情けでも八段になっていない。トラにしたところで落っこちそうでアップアップしていて、トラが熊に囲って遠くの方で吠えているだけで何で人間様の大人が恐がるか。
(中略)
中原名人は確か田中八段の兄弟子だったと記憶する、随分とご馳走になり、将棋も教えて貰ったと聞いているが、普通の男になったとか、只の人になったとか、何処を押せばこう云う言葉が出るのか、頭が悪いオイラにはトント判らぬ、この際だからトラ、ハッキリ書いといてやる、中原がいて、喧嘩好きのオイラがいて、その友達の米長がいる、一応の保護者がいるからお前の幾らかの勝っては周りが許してくれているが、オイラ達を怒らせ敵に廻せばどうなるかは幾ら愚か者でも少しは判るだろう。
米長が世界一将棋が強い男かどうかは知らぬが、お前に”それが谷川とか米長とか、あんな弱い将棋……”(51ページ)と云われる程は米長は弱くないぞ。
(中略)
若手棋士とやら、それも座談会に出た者達に限って云う、君達の年の時は超一流と云わぬまでも一応一流になった者達は、君等より成績優秀で、高段であった。六、七段でウロウロしているような者ではなかった。将棋は優れていた。もっと大事なことは”人”としても優れていた。先輩から受けしものを感謝し、先輩を尊敬していた。百歩譲って尊敬しないまでも、軽蔑はしなかった。
(以下略)
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芹沢九段は、将棋世界3月号では、コラム(2頁)の50%を使って田中寅彦八段を、25%を使って座談会に出ていた若手棋士を厳しく叱っている。
たしかに、言葉が過ぎる表現もあるが、若手が本音を語るという意味で画期的な座談会であったことは間違いないし、読者へ対するサービス精神から出た言葉も多かったと思う。
しかし、あまりにも尖鋭的だったか、芹沢九段という意外なところからの怒りが出た。兄弟子ということでけじめをつけるという意味もあったのだろう。
芹沢九段も、この当時は将棋世界を含む各方面でかなり過激なこと(主に将棋連盟などの運営面、制度面)を書いていたのだが、大山康晴会長(当時)から見れば、芹沢九段が若手棋士達に対して思ったことそのままを、芹沢九段に対して思っていたかもしれない。
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この頃の田中寅彦八段を弁護するわけではないが、田中八段は、自分の将棋もまだまだ弱いという前提で、「谷川とか米長とか、あんな弱い将棋」と言っている。
文脈から言えば、中原誠十六世名人が、中原十六世名人よりも弱い谷川とか米長とかに負けている現状には大いに不満がある、という主旨。
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将棋世界1985年2月号、3月号を読んだ読者の声は、4月号で判明する。
- 田中寅彦八段よくやった! 11通
- 田中寅彦八段に反発 6通
もちろん編集部が選んでいるので正確な比率かどうかは別だが、この当時の将棋世界編集長は沼春雄五段(当時)。どちらか一方に肩入れするわけにもいかない立場なので、比較的この比率は正しいとも考えられる。
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話は将棋世界1985年3月号に戻る。
ここで、もう一つ、波乱が起きる。
それは、また明日の記事で。
(つづく)