杉本昌隆六段(当時)「双方秒読み、延々続く泥仕合、相手が羽生、という極限状態の中で、自分の中に眠っていた何かが引き出されたのかもしれませんね」

将棋世界2004年3月号、元NHKアナウンサーの中林速雄さんの「棋士たちの真情 明日は今日より強くなれる―杉本昌隆六段」より。

 実際、杉本六段は30歳前後から強さを発揮し始めた。平成10年、NHK杯と銀河戦で準決勝まで進出。14年、朝日オープン準優勝。15年、竜王戦3組優勝。順位戦ではB級2組に昇級。六段には、勝数の規定を満たし、12年に昇段している。

―好調を自分でも意識していますか。

「あ、いや、ありがとうございます。やっと結果が出始めてくれたということでしょうか」

―それも四間飛車一本で。

「ほんと、そうですね。実は奨励会に入るまで居飛車一辺倒だったんですけどね。本来、我が板谷一門では振り飛車はご法度ですから。香落ち上手を指しているうちに振り飛車が好きになりました。15歳、奨励会3級の頃から完全な振り飛車党でした」

―そういえば、小林九段が言ってました。スーパー四間飛車は、杉本先生のおかげだって。あれ、満更冗談でもなかったのかな。

「それはジョークですけど、ただ四間飛車では私の方が早くから指していましたから、一緒に研究出来ました。その研究を前進させ実を結ばせたのは、兄弟子というか師匠代わりの小林九段の実力です」

―そうか、あの名人戦の直前、昭和63年2月24日に、杉本さんの師匠の板谷進八段(贈九段)がクモ膜下出血で急逝され、当時大阪で一人暮らしをしながら三段リーグを戦っていた杉本さんにとっては、小林さんは頼りになる存在だったのでしょうね。

「はい、私はその2年後の平成2年に四段になったのですが、最後に直接対決の相手となったのが、ゴキゲン中飛車で今や有名な近藤正和現五段。それまでの3年あまり、昇段出来るチャンスを一度ならず逃していただけに、プレッシャーに押しつぶされそうでした。そんな私の精神状態を見透かしたように小林さんが、相手にも同じプレッシャーがあるんだよと言ってくれたんです。それで気分がスッと楽になりました」

(中略)

 先程平成10年からの実績を紹介したが、実はその前年平成9年は、年間勝率が全棋士中第2位だった。しかも第1位とはたった1厘差、惜しいところで年間賞を逃している。

 その年は銀河戦でも準決勝戦まで進んでいた。つまり2年続けてベスト4になったわけだが、準決勝戦での相手は、たまたま同じ羽生四冠(当時)だった。2年続けて同じ相手に苦杯を嘗めさせられたことになるが、インタビューが進むうち、杉本六段が実は、その先の方の対局で、予想もしない経験をすることになったという話を聞かせてくれたのである。

―一体どういう将棋だったんですか。

「200手を超える長い将棋でした。終盤で勝ち筋を逃して敗れたのですが、この局面を見てください。

 1手前▲1六歩に△同とと取ったところです。次が151手目で▲2七金。以下△同と▲1六香△同玉▲2八桂△同と▲同銀△3七桂▲3八玉△2九銀▲4七玉と進みます。双方、ずっと前から秒読みです。

 私の▲1六歩からは会心の手順だったのですが、△3七桂がさすがの凌ぎ。羽生さんの攻めと受けのバランスが絶妙で、一手一手が目新しく、また勉強になりました。

 150手を超えたあたりからでしょうか。自分の中にある将棋観、いや、脳の奥にあるもっと根本的な物の考え方までが変わっていくように感じられました。

 何といえばいいのか、プロになって何年も経つのに、どうしても見えなかった部分、ずっと霞がかかっていた状態が、だんだん晴れてきて鮮明になっていくような…ああ、将棋ってこういうものだったのかと得心出来るような、不思議な感覚でした」

 思いがけない話のなりゆきに、聞き手も息を詰めて、言葉の続きを待った。

「秒読みの中で頭をフル回転させながら、今まで勉強してきたのは一体何だったんだという思いに捉われていました。目が醒めたような気分でした。同時に、今後これで勝てるようにならなきゃ嘘だ!とも思いました。ほんとに、不思議な、初めての経験でしたね」

 しばらく沈黙があった。

―それって、一種の悟りではありませんか。

「でしょうか。今から思えば、双方秒読み、延々続く泥仕合、相手が羽生、という極限状態の中で、自分の中に眠っていた何かが引き出されたのかもしれませんね」

―以来、何か具体的に変わったことがありますか。

「ええ、一言で言うと、決断がよくなりました。元々かなりの長考派だったのですが、それまでは10分かけて指していた手が、10秒で指せるようになったということがあります。指し手に対する判断も変わりました。前例がないから指さないのではなく、前例がないからこそ指してみようと考えるようになったんです。いろいろな面で柔軟になったと思います」

―では、あの年間勝率2位も偶然ではなかった。

「それは何とも言えませんが、ただそれまでは、将棋は技術が全てで、事前の研究で勝つんだという頭しかなかったように思います。しかしあれ以来、どんな研究も、それを使いこなすクリアな状態を、最後まで保ち続けられなければ無意味だと分かりました。それに、研究だけで勝負がついてしまうのでは、人に感動は与えられないでしょう。将棋が強くなるには技術を磨くしかありませんが、将棋に勝つには、精神力・体力・持久力の全てが必要です。そのことが、理屈ではなく身体で、身体の心底で分かったのです」

(以下略)

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羽生善治四冠(当時)との対局中の極限状態で得たこと。

杉本昌隆六段(当時)のそれ以降の戦績を見れば、非常に大きなことであったことがわかる。

自分の中に眠っていた何かを引き寄せた杉本六段も凄いし、そのきっかけとなった羽生四冠の存在感も凄い。

杉本六段が身体の心底で分かったこと、これが弟子の藤井聡太四段にも、言葉には出さないけれども、無意識のうちに伝わっていることだと思う。

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今日発売される「NHK将棋講座12月号」に、杉本昌隆七段の「師匠から弟子へ」が掲載されている。

板谷進九段-杉本昌隆七段-藤井聡太四段の系譜の、師匠と弟子の物語。

藤井聡太四段について書かれた記事、著作は多いが、師匠の杉本昌隆七段によって書かれた文章は少ないと思う。

読みながら心を揺さぶられ、読み終わった瞬間に言葉にできない感動を覚える、非常に素晴らしい内容。

皆様にもぜひご覧いただきたいと、自信を持ってお勧めできます。

 

NHK 将棋講座 2017年 12月号 [雑誌] (NHKテキスト)

 

 

 

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