将棋世界1972年3月号、連載対談「勝つことはえらいことだ」より。
ゲストは塚田正夫九段(当時)、聞き手は石垣純二さん(医事評論家)。
石垣 私がこの対談を引き受けましたのは、プロ棋士というものは私たちアマチュアにとって雲の上の人で、盤に向かうだけで異質の人にあっているように感じられるのです。いわば火星人みたいなものなんです。その雲の上の人に降りてきてもらって私たちファンと棋士を近づけたいと思ったからにほかなりません。甚だ失礼なことをお尋ねするやも知れませんが、悪意はまったくありませんのでその点はひとつご了承ください」
塚田 今日は覚悟してきましたから、なんなりとお聞きください」(笑)
石垣 将棋の先生の場合はたいてい神童的な話が伝わっているもんですが塚田先生の場合は全くない。どうしてでしょうね」
塚田 学校を出て、すぐ内弟子になったからでしょうか。家中、父も兄も将棋好きでしたね。小学生のとき職員室へ呼ばれて先生と一局指して負かしたら”うんー、塚田は将棋が強いけど勉強もしなきゃダメだぞ”(笑)といわれたことがありました。
石垣 どこの小学校でしたか。
塚田 小石川御殿山の白山小学校。
石垣 花田さんのところへ入門したときはどのくらい強かったのですか。
塚田 9級というんだね。自分ではもっと強いと思っていたんだけど……。
石垣 棋士の内弟子生活というものは辛いもんだそうですが……。
塚田 ボクは昭和2年の春、小学校を卒業してすぐ入門したんですが、辛いと思ったことはありませんでしたね。今日あるのは花田先生のところへ行ったからあるのではないかとさえ思っているほどです。ボクがやらなかったのは御飯炊きと便所掃除だけ、廊下をオカラで拭くこともしました。
石垣 どなたに聞いても、お師匠さんは手をとって将棋を教えてくれないそうですが、花田先生はいかがでしたか。
塚田 やっぱり教えてはくれませんでしたよ。しかし、後年になって名人戦予選や新聞棋戦で対局はしました。師匠に勝つのが恩返しなら、それもしました。考えてみると、こっちもだいぶ古いんですね。
(中略)
石垣 この間、倉島竹二郎氏の「近代将棋の巨匠たち」を読んだところ、対局中は大変無口だそうですね。天狗太郎さんの文に「昭和25年5月22日、大山八段との山中温泉における名人戦のとき”雨が降ってるナー”と一言いったきりしゃべらなかった」とありますが、その時分は盤上以外関心がなかったのですか。
塚田 あの頃はそうかもしれない。いまはやたらとしゃべるようになった(笑)。落語にも興味持ってるんですよ。
石垣 落語にですかー、ご贔屓は…。
塚田 文楽。つい最近亡くなってしまったけど…。
石垣 文楽の艶笑落語を聞かれたことがありますか。
塚田 ありませんね。先生はすぐエッチのことをいわれるので警戒しなければならないと思って来た(笑)なにしろ奥方がやかましいのでね(笑)
石垣 知られざることを聞きたい。これがこちらのねらいですから……(笑)
塚田 すぐ将棋世界を読みますからね。
石垣 奥様は三千子さん。大成会時代の理事をされていた竹沢さんの娘さんで、当時の若手棋士のあこがれの人で、用事もないのに若手は大成会に日参したと聞きます。そのあこがれの娘を、あなたのような無口な人が群雄をなぎ倒して獲得したとは……どんな手を使ったのですかね(笑)
塚田 欲しいから申込んだだけですよ。別に手練手管は使いませんよ。
石垣 六段のころでしたね。
塚田 親父がね、八段ぐらいにはなると見て、安心して許したのではないですかね。
石垣 欲しくてもらったくらいですから焼きもちはやかないはずなんですがねェ。
塚田 いつだったか、藤沢桓夫さんが観戦記に「塚田九段が気分転換といってストリップを見にいった」と書かれたのが目にとまってね(笑)えらい目にあいましたよ。
(中略)
石垣 塚田先生の横歩取りの実戦をよく見ているんですが深遠なもんですね。
塚田 盤上で答を出そうと思って指してるんですがね。
石垣 プロに通用する作戦を雑誌に書かれては損ではないですか。
塚田 この間も米長君との順位戦でどうしようかと迷ったが雑誌の手前、ひとつやってやれーとなっちゃった(笑)
石垣 結果は?
塚田 やられた(笑)
石垣 やれやれ……
塚田 意地を張って損したと思うが、別にこっちも長生きするわけではないし、いまのうちやったほうが良いと思っているんです。
石垣 まことに潔い……
塚田 それが務めでもありますからね。
石垣 まだ横歩取りは全部の変化はきわめつくされていないんでしょ。また、プロの感想戦でも奥の奥はしゃべらないものだそうですが……
塚田 急所はいいませんね。しかし、対局者にはわかるんですよ。二人以外にはわからなくとも……。将棋でもセックスでも本当のことは二人の対局者でなければわかりませんよ(笑)
石垣 いやー、これは一本とられました。本日はこれまでです。
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小学校の先生の「うんー、塚田は将棋が強いけど勉強もしなきゃダメだぞ」は、とても気持ちがわかるような負け惜しみだ。
負けて本当に悔しかったのだろう。先生が反撃をするとしたら、これくらいしかなかったのだろう。
本当は、「塚田はこんなに将棋が強いんだから、勉強も同じように頑張ればすぐにトップが取れるぞ」と言うべきところだろうが。
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廊下をオカラで拭く。調べてみると本当に効果があるようだ。
期限切れになってしまった豆乳でも良いとのこと。
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対局中に一言しか話さなかったのがネタになってしまうくらい、昔の対局では対局中の会話(対局相手と話をしなかったとしても観戦記者など関係者と)が普通にあったということがわかる。
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「塚田九段が気分転換といってストリップを見にいった」と書かれている作家の藤沢桓夫さんの観戦記は、ぜひ探してみたいものだ。
塚田正夫九段と藤沢桓夫さんは非常に仲が良かったので、このような話も聞き出すことができたのだろう。
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「対局者にはわかるんですよ。二人以外にはわからなくとも……。将棋でもセックスでも本当のことは二人の対局者でなければわかりませんよ」
これは真実を突いた名言だと思う。