名人戦挑戦を逃すきっかけとなった飲み会

将棋世界1986年12月号、内藤國雄九段の「自在流 スラスラ上達塾」より。

 将棋というのは不思議なもので、個人的な付き合いがなくてもその人の棋譜を並べていると親しくなったような気がするものである。

 一方は大先生、一方はヒヨコという事で個人的なつき合いがないのは塚田(正夫)さんの場合も高島(一岐代)さんの場合も同じであるが、棋譜を通じて崇拝の念と共に親しみの感情も抱いていた。

 塚田・高島といえば二人の間に次のような逸話がある。颯々として我が道をいく塚田さんは一緒に飲んでも自分の分だけ払ってさっと行ってしまうという事で有名。

 一方、高島さんはその逆でいつも人の分まで払わないと気がすまない事で知られている。

 二人は大阪で会ったが、その時は当然ながら高島さんが歓待した。

 次いで、これは両者が順位戦を戦うほんの数日前であったが、二人が東京で会った。

 その時、塚田さんは自分の飲み分だけ払うとさっさと帰ってしまったものである。

 さあ高島さんの腹の虫がおさまらない。

 その時の対局は塚田さん勝てば挑戦権獲得という重大な一局、高島さんは勝っても負けても当落関係なしという気楽な一局であった。

 しかし高島さんは全力投球して塚田さんをふっ飛ばしてしまう。

 そのおかげで体調を崩し半ばあきらめていた升田さんと塚田さんが同星となり二人でプレーオフ。そして升田さんが勝って名人位獲得につながっていく―。

(以下略)

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この文章、はじめに読んだ時は、

東京で飲んだ時も、高島一岐代八段(当時)が全て支払うつもりだったのに、塚田正夫八段(当時)が自分の分を払って帰ってしまったので、高島八段が怒り心頭

と思ったのだが、久し振りに読んでみると、

大阪で歓待したのに、塚田八段の地元の東京で割り勘とはどういう了見なのか、ということで高島八段が怒り心頭

とも取れる。

しかし、じっくり読み込んでみると、やはり最初の解釈、飲み代を全部自分が支払いたかったのにそうはさせてくれなかったことで高島八段の怒り心頭、が正しいと思う。

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「飲み代の全てを自分が払わなければ気が済まない人」と「必ず割り勘にする人」が二人で飲む、まるで盾と矛の戦いのようで非常に興味深い。

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「飲み代の全てを自分が払わなければ気が済まない人」同士が二人で飲んだ場合、これはもっと複雑なことになりそうだ。