将棋世界1996年4月号、「七冠達成直撃独占インタビュー 羽生七冠王の将棋宇宙」より。聞き手は大崎善生編集長(当時)。
―もう何回も聞かれていると思うんですが、七冠になられた率直な印象はいかがでしょう。
羽生 やっぱり嬉しい気持ちもあるし、ずっとここ3年位目標にしてきたものが達成されてしまったので、ちょっと気が抜けたという気持ちもあるし、その両方ですね。
―七冠達成の当日、私は将棋連盟にいまして、その夜、二上先生と午前3時頃まで読み歩いてしまいました。控え目な先生にしては珍しくハシャいでまして、喜んでいらっしゃいました。
羽生 そうですか、そうですか(笑)。それは私も嬉しいです。
―子供の頃は、色々な夢を描くと思うのですがその中に七冠王というのは入っていましたか。
羽生 いや全然ないです。全くないですね。そういうことを考えたのは五冠王になってからです。棋士になってからも、七冠王なんて一度も考えたことはないですから。
―ということは羽生さんにしても、やっぱり凄いことなんですね。
羽生 凄いことというか、あり得ないことと思ってましたから。
―対局後のインタビューや記者会見の時など、大変感激というか興奮されているように見えましたが、やっぱり相当にグッとくるものが?
羽生 対局が終わってとりあえず、気持ち的には大分開放的な感じはあったんですけど、ただちょっと肉体的にはつらいので、変な状態でしたね。
―風邪は治りましたか?
羽生 今は大分良くなりました。熱は下がったので、後はセキだけです。
―羽生さんはこの一年、ずっと勝ち続けてきたという印象ですが、それでも振り返ると苦しい場面も多々あったと思います。どういう所が印象に残ってますか。
羽生 やっぱり昨年の4月からずっと10、11月まで、あまり自分が納得できるような将棋を指せていなかったので、そういう意味ではなんかずっと苦しいなと思っていました。
―森九段に王座戦で詰まされていたら、もしかしたらガラリと展開が変わっていたかもしれない。
羽生 そうですね。それは王位戦にしろ、竜王戦にしろ、一局の違いですよね。一局の違いというよりも、一手の違いでもう多分、それでシリーズの流れが変わっていたと思います。後から考えれば、よくこんなに危ない橋をいくつもいくつも渡って来られたなあと思いますね。
(中略)
―現在、殆どタイトル戦という状態で8割5分という驚異的な勝率を上げていらっしゃる。タイトルホルダーというのは常に、その時の一番調子のいい相手と戦っているわけですよね。
羽生 今年度に関する話でいえば、そうですね。常に調子のいい人が挑戦者になりますよね。で、私は調子が悪いんですよ。で、一局二局やるとこっちの調子の悪いのが相手にうつるんじゃないかという気がしているんです。だから、後半戦になると調子がおかしくなってきた人が多かったですね(笑)。
(後日につづく)
—————
昨日、羽生善治永世七冠と囲碁の井山裕太七冠への国民栄誉賞の授与が正式決定された。
昨年末に予定されていた正式発表が事務的手続き等の理由で年明けになった形だが、昨日は大安で指し初め式。
こうなってみると新年の非常に明るい話題だし。発表が当初予定よりも遅れたのがむしろ良かったようにも思える。
—————
ということで、今日は羽生善治七冠誕生の直後のインタビューから。
—————
「後から考えれば、よくこんなに危ない橋をいくつもいくつも渡って来られたなあと思いますね」
いつも思うことだが、七冠を獲得するのももちろん凄いことだが、その前の1年以上、六冠を保持し続けてなおかつ王将戦の挑戦者になることも考えられないほど大変なことだ。
—————
自分の調子の悪さが相手に伝染する。
厳密には調子の悪さが自分から相手に移動するので、伝染ではなく、調子の悪さが相手に憑依する、と言った方が正しいのだろう。
これも、広い意味での羽生マジックであることは間違いない。