将棋世界1995年5月号、野口健二さんの第44期王将戦第6局〔谷川浩司王将-羽生善治六冠〕観戦記「流れを変えた地点」より。
一日目が終わり、ホテルの名物、その名も「王将風呂」へ行くと、巨大な将棋盤の上に封じ手の局面が並んでいる。そこへ両対局者も現れた。
湯船に浸かりながら「これこそ呉越同舟、いや意味が違うか」とたわいのないことを思ったりしたが、盤を見た時、二人は一瞬ドキリとしたのではあるまいか。
(以下略)
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封じ手の局面を見ながらの入浴とはどうなのだろう。
あまり身体には良くないような感じがするが。
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この1995年の王将戦第6局での昼食が、谷川浩司王将(当時)、羽生善治六冠(当時)とも地元の「ひっぱりうどん」だった。
羽生六冠は、シーチキンとざるうどんの相性の良さに感心している。
→羽生善治六冠(当時)「シーチキンをうどんに入れるのは工夫ですね」
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将棋世界1985年3月号、スポーツニッポンの松村久記者の第34期王将戦〔中原誠王座-米長邦雄王将〕第1局観戦記「もうやめてくれ!と思わず叫びたくなった」より。
天童は十段戦第3局も行われたところ。その時はホテル「滝の湯」。王将戦、名人戦でおなじみの対局場「東松館」とは道路をはさんで向かい合わせに建っている。その天童に中原が入ったのは前日の午後3時すぐ。空路、副立会人の佐藤庄平八段、記録係の日浦市郎四段らと一緒。ところが、米長はこの時、すでに宿に入って浴衣姿でくつろいでいた。聞いてみると昼すぎには着いて、車で20分程のところにある山寺に登ってきたという。
二人そろったところでスポニチ写真部の平塚記者が写真を”特注”。東松館自慢の大浴場「王将風呂」(大理石製の大盤と駒がある)で裸の王将と挑戦者を撮ろうというのだ。対局後、勝者が風呂でのんびり―というのは何度か撮らせていただいたことがあるが、対局前、それも二人そろってというのは、初めての注文。ところが、中原は「最近出っ張ってきたおなかは撮らないこと」を条件にOK。米長も二つ返事で「いいとも」。かくて、タオル1枚で仲良く並んだ米中の写真が対局の朝のスポニチ紙上を飾った。
(中略)
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タイトル保持者と挑戦者がそれぞれタオル1枚だけで並んだ写真というのは革命的だ。
米長邦雄王将(当時)はタオルなんかなくても構わないという気合だったろうが、中原誠王座の、お腹を撮らないタオル1枚の写真とはどのような構図だったのだろう。
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残念ながら、この王将風呂のあった「東松館」は2002年に営業を終了している。