羽生善治七冠(当時)「自分は負ける時は大差になることが多いので後遺症がないということが大きいかもしれませんね」

将棋世界1996年4月号、「七冠達成直撃独占インタビュー 羽生七冠王の将棋宇宙」より。聞き手は大崎善生編集長(当時)。

―タイトル戦で8割5分。これを考えていると、もしかしたら羽生さんは終盤力とか定跡力とか大局観の差とか、従来の理屈でなく、何か将棋というゲームに対する理論自体が違うのではないかと思うことがあるんですが。

羽生 考え方とか理論とかは基本的にそんなに差はないと思うんですけど、やっぱり個人個人、微妙な所では将棋に対する捉え方、さっき言った定跡のこととか、終盤力のこととか、取り組み方とか違う所はあると思ってるんですけど。

―例えば「打ち歩詰めのルールがなければ将棋は先手が必勝なのではないか」という羽生さんの発言があるんですが、そういう言葉はルール自体、つまり将棋の根源的な存在、ゲームの存在の本質に常に関わっていなければ、なかなか出てこない言葉だと思うんです。

羽生 今、自分が思っているのは、将棋というのはつまり、どういう結論になるのか、ということは常に念頭にありますね。10代後半の頃であれば先手必勝だろうと思っていたし、またそれから数年経てばいやむしろ後手の方がやれるんじゃないかと思っていたり。あるいは今はなんとなく、カンだけれども打ち歩詰めがなければ先手必勝になるという気がしている。なんとなくそういうカンですよ。

―カンですか。

羽生 ただ、それが一応盤面に向かう時の一つのスタンスみたいなものですね。あとは気持ちの持ちようでやっていくということですね。例えば、それが何なのかというと、自分は10代後半の時は先手必勝だと思っていたから、先手を持てばうまくやっていけば必ず勝利に結びつくものだということを前提に指していくわけです。後手番の時はどっちにしろ最初から悪いんだから、思い切ったことをやっていこうというスタンスになります。ただもちろんそんなこと(先手必勝)はあり得ないですよ。だから、その時、その棋士がどういう将棋の結論を持っているかということは、結構大きなことだと思うんです。

―なるほど。

羽生 今は先手必勝と思っていないです。まあどちらを持っても引き分けの可能性が高いという気はしています。

(中略)

―羽生さんはコンピュータがチェスで人間に勝つというのは、チェスの理論をコンピュータに教え込むことができるからだとおっしゃっていましたが、将棋も々ことですよね。つまり将棋の理論をコンピュータに教え込めば、コンピュータが人間に勝てる可能性がある、そう解釈してもよろしいですか。

羽生 構いません。

―人間VSコンピュータという図式で考えてしまいがちですが、実はそういう図式はないんですよね。

羽生 コンピュータは人間が作り出すものですから結局は。人間が作り出したコンピュータVS人間なんですよね。

―そういう意味で、羽生さんが将棋の理論を教えるとすれば、どういうことを教えますか。

羽生 私はその辺は詳しくはないのですが、もし自分がやるとすれば、つまり定跡とか詰まし方ではなくて、この形の時にはこう動かした方がいいとか、この形とこの形を比較したら、こっちの方がいいとか。そういう部分的な良し悪しなり、部分的な形なり、こっちの方がいいケース、これはこっちの方が悪いケースというのを莫大な量を入力していくのがいいと思います。

―それは駒の損得でもスピードでもないんですね。

羽生 そうです。場面、場面の形、形です。ただもちろんその中には駒得とかそういうこともあるので、形が悪くても駒得の方がいいという判断のケースとかも沢山入れていくのがいいのではないですかねえ。

―それはすなわち羽生さんの将棋の考え方に非常に近いのではないんですか。

羽生 そうです。つまり、自分が将棋の手を考える時にどういう判断をしているかということをインプットしていくわけです。

(中略)

―羽生さんは将棋は宇宙だということを、あるいは宇宙のように広いものだということをおっしゃっているんですが、羽生さんは対局している最中に、どんどん物凄い量の読みをしていくわけですよね。その時にどういう感覚になるんですか。

羽生 そうですね、考えている時、本当に集中している時は無意識なんです。ただ、色々と考えている中で、もちろん勝ちたいということも思うんですけど、あきらめる気持ちによくなりますね。つまり、それはいい手とか悪い手とかじゃなくて、なんか、結局自分で考えてもわからないからというあきらめの気持ちですね。どんなに考えてもわからないから。

―私の場合は3手か5手先で頭が真っ白になってしまうんですが。羽生さんでもここから先は読み切れないという局面が、毎局のように続くわけですよね。

羽生 そうですね。まあそういう時はカンですね。わからないから。しょうがないですよね。ただ、自分の方から自信のない局面でも、相手の方から見て自信がないという時もあるので、だから、こんなもんだろうなっていう感じで指していくことが多いですね。いつも自信満々に一手一手指せるわけではないですから。

―結構、不安と共にある。

羽生 ええ、常にそうですね。

―不安と共にありながら、やっぱり結果が出てくるというのは、どういう所が違うんですか。結果が伴う理由というか。

羽生 何が違うかっていうのは、そんなに違うところはないと思うんですけど。ただ、自分は負ける時は大差になることが多いので後遺症がないということが大きいかもしれませんね。勝つ時は大体接戦だし、苦しんでいるから。だから次にまた油断するということもないし、そういうことは結構、1年とか2年とか長いスタンスで見れば大きいのかなあという気がします。

―負け方がうまいということですか。

羽生 うまいというか(笑)、負け方がヘタなのかもしれませんけど、大差で負けているから。

(つづく)

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たしかに、大差で負けた時は、かえって心の痛手が少ない。

「あそこでああやっておけば……」などのような思い残すことがあるほど、尾を引いてしまうことが多い。

宝くじが好例で、バラで買って、1等賞と2番違いが1枚あったら、一生悔やみ続けるかもしれない。