泉正樹四段(当時)「女なんて……。泉に女はいらないと、今度の観戦記に書いといて下さい」

将棋マガジン1984年8月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。

 新宿二丁目の仲通りを靖国通りに向かって、二本目の路地を右に曲がったところに「あり」という小さなバー。

 さらに三本ほど先の小路の左側には「ぜいろん」がある。

「あり」はもともと米長の行きつけの店だったが、近頃は若手棋士のたまり場になってしまった。対局が終わったあとここへ来て一時間ぐらいを過ごし、それから「ぜいろん」へ回るというのがコースである。ここで酒を飲む棋士の有様を信濃桂さんは次のように書く。

 

 明け方に近い新宿二丁目の行きつけのスナック。

「おい泉、お前みたいなバカがよく将棋を指していられるね」

 とママの罵声がとぶと、

「何をいわれても構いません。女に俺の気持ちがわかってたまりますか」

 そして揺れた体をこちらに向け、

「女なんて……。泉に女はいらないと、今度の観戦記に書いといて下さい」などという。

(週刊文春)

 

 厚い木の扉を押して中に入ると、そこは洞穴のようになっていて、数メートル進むと、かなり広いカウンターがあらわれる。椅子に腰をおろせば、外界からは完全にさえぎられ、保護されているという感じになる。ここに子宮願望にとらわれた男達が現れワイワイガヤガヤ、ポーカーをしたり、時にディスコを踊ったりして明け方までをすごす。

 ママは、よく笑うが、きかん気なところがあり、それでいてサバサバして温かい。男の世界に疲れ敗れた男たちが休息に来るのもわかるような気がする。

 このママは、若い男がくるとカウンターの中から客席へ回って来て、突然胸をはだけ、もろにキスを迫るクセがある。この恩恵(?)をこうむったのは、大野、泉などかなりいるはずだが、ある時、だれが連れて来たのか、どういう風の吹きまわしか知らぬが、中村が入って来た。

 当然、頃合いを見計らってママは襲った。すると中村は青ざめ、カウンターにしがみついて「そんなことをしてはいけません」と叫んだそうである。

 あまりの狼狽ぶりに、ママの方がビックリしたというが、この話を聞かされた田中(寅)はママの顔を見ながら「そうだろうな、中村君は大阪へ行ったら、水が飲めない、と云ったくらい神経質だからね」

 ついでに云えば、ママは田中を襲わなかった。

 たいていの者は、襲われると逃げ回りながら、けっこう唇や頬に口紅をつけて喜んでいる。それと中村を比べると、やはり名人になるべき者、といわれている人はちがう、と思わざるをえない。私はかつて、中村や塚田や高橋達のことを、将棋だけを養分に、純粋培養された若者、と書いた。彼等が外界の空気にふれて、どのようにたくましくなって行くのだろうか。ひょんなことから中村は大人の世界への第一歩をぶみ出したわけだが、まだガラス器の中へ引っ込んでしまわないように、米長の言を紹介しておこう。

「われわれにとって、いちばんの敵はなにかというと、俗にいう”遊び”というのがありますね。酒、女、バクチこんなものは、足を引っ張らんのですよ、実は。つまり男というのは、飲む、打つ、買うことによって、芸が止まるとか、勝てなくなるということはないんですね。やっぱり、いちばんマイナスになるのは、常識なんですよ」

(横山やすしとの対談)

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新宿二丁目という場所ではあるが、「あり」も「ゼエロン」もママは女性。

「あり」には何度も通ったが、「ゼエロン」には一度も行く機会がなかった。

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ゼエロンのママについて書かれたブログがある。

1944年生まれの江戸っ子で、大阪万博のコンパニオンもやられていたという。

上記の「対局日誌」に登場した頃は40歳。

伝説のママ(Hey! Manbow)

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「おい泉、お前みたいなバカがよく将棋を指していられるね」

「女なんて……。泉に女はいらないと、今度の観戦記に書いといて下さい」

この雰囲気がたまらなく絶妙だ。

一度行ってみたかった。

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飲む・打つ・買う、不思議と三分野を全てこなしている男性はなかなかいないもので、どんなに遊んでいる人でもせいぜい二分野。(こなすとは、飲むならほとんど毎日飲む、打つなら週に1回以上は公営ギャンブルをやっている、買うなら毎週遊郭へ通っている、という水準)。

逆にいえば、「酒、女、バクチこんなものは、足を引っ張らんのですよ」とは言っても、3つ同時にやると、さすがに足を引っ張ると思う。

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「いちばんマイナスになるのは、常識なんですよ」

これは、一番かどうかは別としても、どのような業界でも当てはまると思う。