木村義雄十四世名人の盤寿を祝う会

将棋マガジン1984年9月号グラビア「木村名人の盤寿を祝う会」より。

 来年2月に81歳の盤寿を迎える木村義雄十四世名人と鶴子夫人のご健康を祝う会が7月3日、箱根湯本の「天成園」で開かれた。木村一門会が呼びかけたごく内輪の会だったが、一門の棋士や関係者が多数参集し、ご夫妻を心から祝福していた。木村名人が2年前に病気で倒れたものの、強靭な精神力と体力で健康を回復され、現在は血色もよくすこぶるお元気そう。最後の謝辞も往年をほうふつさせる迫力で、年齢をほとんど感じさせなかった。内輪の会とあって、いつも笑みを絶やさない鶴子夫人とともに、浴衣姿で終始リラックスしたご様子だった。

当日の木村義雄十四世名人。撮影は中野英伴さん。

 木村名人は「恩師の関根(十三世)名人が『できれば盤目の81歳まで生きたい』とおっしゃっていた。先生は79歳で亡くなられたが、戦争がなければ90までは生きられたと思う。私はどうやら81歳まで生きられそうで、先生がお望みになった歳まで生きられたことで満足です」とはっきりした口調で謝辞を述べた。

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木村義雄十四世名人は1905年生まれ。1986年11月17日、将棋の日に81歳で亡くなっている。

1984年7月3日時点で「来年2月に81歳の盤寿を迎える」ということは、数え年(生まれた時が1歳とする数え方)で盤寿のお祝いをやっていたことになる。

木村十四世名人の体を気遣って、あるいは明治生まれの人なので、数え年ベースで開かれたとも考えられる。

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箱根湯本の「天成園」は、加藤一二三九段が滝を止めさせた旅館でもある。

加藤一二三九段が滝を止めた旅館のCMに出演した大山康晴十五世名人

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この時の乾杯の音頭は木村十四世名人の弟子の花村元司九段。

東海の鬼と呼ばれた花村九段であるが、酒を飲めない体質だったので、乾杯の時だけビールのグラスを持ち、その後はジュースを飲んでいたと、別の写真のコメントで書かれている。

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しかし、花村九段は師匠の1年前、1985年5月に病気で亡くなる。

木村十四世名人は「とてもよい弟子だがたった一つ悪いことをした。師匠より早く死んだことだ」と悲しんだ。

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現代将棋は、相掛かり、横歩取り、角換わり腰掛銀、雁木と、私が将棋に熱中しはじめた中学生時代には、「斜陽戦法」「江戸時代の古法」「もう誰も指さなくなった戦法」などと呼ばれていた戦法がメジャーになっている。

これらの戦法はすべて、木村十四世名人が得意とした戦法。

木村十四世名人の実戦譜が新鮮に見える時代になっているかもしれない。

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「巨匠が語る将棋界今昔 木村義雄 VS 倉島竹二郎」(1)

「巨匠が語る将棋界今昔  木村義雄 VS 倉島竹二郎」(2)

「巨匠が語る将棋界今昔  木村義雄 VS 倉島竹二郎」(3)

「巨匠が語る将棋界今昔  木村義雄 VS 倉島竹二郎」(最終回)