将棋マガジン1984年9月号、「第43期名人戦挑戦者決定リーグ戦」より。
名人戦が終わり、棋士がわざわざ体を壊す為に指しているのではないか、とさえ思われるリーグ戦が開幕した。名人リーグ の顔ぶれを見ると大山十五世名人の病気休場は寂しく残念ではあるが、手 術の結果は良好とのこ と。一日も早く戦列に復 帰してもらいたい。
では さっそくリーグ戦の模様を覗いて見ることにしよ う。オープニングゲームは、早くも挑戦者決定戦 とまで噂される米長王将対加藤九段戦、朝より熱気がただよい対局室に入ろうとする者は、ほとんどいない。若手棋士などは緊迫した雰囲気に圧倒され、恐しくて入室できないのである。これが、このクラス独特のもので他のクラスではこうはならない。夜戦に入るとそれがますます強くなり、覗きに行けるのは年輩の高段棋士ぐらいなもの、まして、米長対加藤であれば?………。いつもだと昼休の際、観戦者達が陣どっている部屋に来て軽いジョークを言い、周りを笑わしてくれる米長だが、この日は現れなかった。こんなに力の入った将棋はどんなに格調の高いものなのか局面を見てみると。いつもながら、米長の序盤 のうまさにはあきれる。加藤に 先攻を許し、1図となっては はっきり苦しい。
ここで、この 将棋をモニターテレビで見てい た若手棋士達の会話を暴露しち ゃおう。
A「ここで▲5五桂と打 たれたらひどいんじゃないの」
B「本当だ。そう指されたらど うしようもないじゃないか」
C「ひどすぎる。投了だ!」しかし、誰もが打ってみたい▲5 五桂が疑問手だというのだから 将棋は難しい。ここは、▲5九 飛が正着ではっきり良かった。
これをのがし、もつれにもつれ 結局二転三転の末米長が勝つ。 また小生、将棋というものが、 わからなくなってしまった。
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このコーナーの執筆者は吐苦迷棋坊(とくめいきぼう)というペンネーム。
微妙な毒舌と、不思議な面白さ。
誰なのかがわからない。
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この号の編集後記には次のように書かれている。
先日、昇降級リーグ表の下の文章を書いている”吐苦迷棋坊”氏に、新宿へ連れていかれました。それも無理矢理(私は嫌だと言ったんです)
お定まりのコース”青春”から”ゼイロン”へまわって帰ったのが朝の5時。死にました。
ところで、この吐苦迷氏、変なくせがあるのです。知らない人に、平気で「コンニチワ」と挨拶するのです。あの文章を見ても分かりますね。
今月から担当になります。宜しく(植野)
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「青春」も「ゼイロン」も当時の新宿の酒場。
若手棋士が通ってた店なので、吐苦迷棋坊氏は若手棋士と思われる。
先の号まで読み進めばわかるのかどうか、注視してみたい。