2018-03

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真部一男七段(当時)「どこから通っているの?」

将棋マガジン1984年9月号、吐苦迷棋坊さんの「第43期名人戦挑戦者決定リーグ戦」より。  7五銀と出た手を石田は悔んだ。終局後「相手が時間に追われていたのであせらしてやろうと早く着手したのがひどい悪手だった」となげいていた。これを聞いた時...
将棋関連書籍Amazon売上TOP10

将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(2018年3月17日)

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闘志を燃え上がらせる原因となった、対局開始早々に目を通した週刊将棋の記事

将棋マガジン1984年9月号、吐苦迷棋坊さんの「第43期名人戦挑戦者決定リーグ戦」より。  大所帯のこのクラス(現在のC級2組)、対局日には、どこかの将棋大会のように、各部屋で横一列に盤が並ぶのである。けれど、決してなごやかな雰囲気などには...
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「ボク達を、もうA級じゃないと思っているんだよ」

将棋マガジン1984年12月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。 午後6時  大広間では二上-板谷戦(順位戦)と青野-田中(寅)戦(棋王戦)の二局が行われている。  このところ本欄に載った田中の将棋は、すべて負けていたし...
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「将棋指しにしておくには惜しい人材」と言われた棋士

将棋マガジン1984年10月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。  ある時、酒を飲みながらの雑談で、椎橋は将棋指しにしておくには惜しい人材だ、という話になった。ちょっと高級なクラブにいたので浮かんだ連想だろうが、彼はクラ...