将棋世界2005年1月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
3階の事務室に寄ると、居合わせた西村九段に「薬師岳へ行ったそうだね」と声をかけられた。
「僕も、飛騨側から入り、大縦走で行ったことがある。40年も昔の話だがね」
そうして山の話をしばらく楽しんだのだが、そういえば、先日、王座戦の観戦で天童へ行った折、帰りに「月山」へ寄る、と言ったら、立ち会いで来ていた大内九段が「若い頃、スキーで登ったんだが、下りでルートを間違え、遭難しそうになったことがある」と、しばらく憶い出話をしていた。
昔はみんなでよく山へ登ったものだが、組み合わせはどうであっても、みんながそろって下山したことはなかった。そういったところが将棋指しらしい。
(以下略)
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2人で登った場合にはさすがに一緒に下山するけれども、例えば5人位で行った時には1人以上一緒に降りてこない人がいる、というような雰囲気なのだろう。
登頂するまでは一緒で、下山はそれぞれマイペースだったとも考えられる。あるいは、隣の山をハシゴするような人もいた可能性もある。
どちらにしても、棋士らしい展開。
ただし、あくまでこれは昔の話なので、現在は違うかもしれない。
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私の知人でほとんどの週末には山登りに行っていた人がいた。
彼は山へ行かない休日にはトレーニングを欠かさなかった。
ある時、大きなリュックサックに重い石を何個も入れ、近所の小学校の校庭の砂場に小さな山を作って、そこで何度も上り下りを繰り返していた。
しかし、リュックサックがあまりに重かったのか、何回目かで体のバランスを崩し転んでしまい、足を痛めてしまった(アキレス腱が切れていた)。
起き上がれないので、校庭で遊んでいる小学生に助けを求めようとしたが、こっちを見ているだけで誰も近寄ってこなかったという。
たしかに小学生の気持ちはわかる。大きなリュックサックを背負って砂場に倒れている人を見れば、相当怪しいアブない人だと思うのが普通である。
見舞いに行った時にこの話を聞いて、笑いをこらえるのが大変だった。