将棋世界2005年10月号、高橋呉郎さんの「感想戦後の感想 藤井猛九段」より。
その当時、藤井の将棋を先行逃げ切り型と評する向きもあった。中・終盤の強さより、「藤井システム」による序盤が傑出していたからである。
当然、「藤井システム」は、重箱の隅をほじくるように研究された。研究の量もスピードも、数にはかなわない。なにしろ、振り飛車党と居飛車党が束になって、盤をつっつく。ケイタイが普及してからは、さらにスピードがました。振り飛車にかぎらないが、新手が出ると、奨励会員や若手棋士は、その日のうちにメールでやりとりする。本家の藤井は、ややおどけた口調で語っている。
「本家は本家ですけれど、まわりのほうがずっと詳しい。本家のプライドとして、若手に研究の中身を訊けないじゃないですか。こっちは細々と独りでやるしかない」
しかし、若手棋士や奨励会員が研究にかまける風潮に、こんな苦言を呈している。
「研究はしたほうがいいですよ。反面、研究するだけで終わるのが怖い。新手が出ても、研究の段階で結論が出ちゃう。そのまま消えちゃうわけですね。やっぱり、実戦で指すほうが、おもしろみもあるし、実りも大きいと思うんです。研究、研究でいくと、考える力がくたびれてくるような気がします。ある程度のところで、やめたほうが、おもしろみが出てくると思いますけどね」
矢倉の研究が全盛をきわめたころ、故・加藤治郎名誉九段がいっていた。
「私は研究会は嫌いだね。宮本武蔵は研究会なんてやらなかったもの」
宮本武蔵は、やり直しのきく道場剣法を習わなかった。木刀を振り振り体得した”新手”を、真剣の修羅場で試した。
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「研究はしたほうがいいですよ。反面、研究するだけで終わるのが怖い。新手が出ても、研究の段階で結論が出ちゃう。そのまま消えちゃうわけですね。やっぱり、実戦で指すほうが、おもしろみもあるし、実りも大きいと思うんです」
これは、観る立場から言えば(観る立場からしか言えないが)全く同感する意見だ。
過去の定跡の発展の歴史は、新手が出て、それを打ち破る対抗策が出て、さらにこの対抗策に対する新手が出て、の実戦での履歴そのものだった。
だから、その戦型が指されなくなった経緯もわかるし、その新手が出現した背景もわかる。
たとえば、かなり昔の話になるが、角換わり棒銀であればプロの実戦で、
- 後手△5四角型の出現
- △5四角に対抗する▲5八金の守勢→思わしくない
- △5四角に対抗する▲3六角の反撃→思わしくない
- △5四角に対抗する大友流▲2六飛→形勢互角
- △5四角に対抗する花村流▲3六歩突き捨て→形勢互角
- △5四角に対抗する升田流▲3八角→先手有利
- ▲3八角に対抗する△4四歩の新趣向→後手盛り返す
のような物語があった。
ところが、その過程が一気に何段階か飛んでしまうと、本来味わえるはずだった物語まで飛んでしまうことになる。
コンピュータソフトを使った研究なら、そのことがもっと顕著になるだろう。
角換わり棒銀の例でいえば、後手△5四角型が出現して後手が1局か2局勝って、そのうちにコンピュータソフトで研究され尽くされて、負けてもいないのに△5四角型がいつの間にか指されなくなる、あるいは誰も角換わり棒銀を指さなくなる、ようなことが当時、現在のようなコンピュータソフトがあったら起きていたかもしれない。
コンピュータソフトを使った研究により、このような傾向が続くだろうが、逆に今まで人間が見落としていた新手が現れる可能性もあるわけで、この辺はなかなか微妙なところだ。