将棋マガジン1987年10月号、「若手棋士訪問記 米長邦雄のスーパーアドバイス 佐藤康光の巻」より。
中外製薬
米長 近所の奥様たちは解散しましたか、ハハハハ。私はやっぱり、奥様方に人気があるのかな(笑)。
父母 今日はよろしくお願いいたします。
米長 いやいや。こちらこそ。せっかくの日曜日にお邪魔してすみませんね。お父さんはお仕事は何をなさってるんですか。
父 製薬会社に勤めてるんです。中外製薬なんですけどね、それで先生には以前、講演に来て頂いたことがあるんですよ。
米長 あっ、そうですか。その時、いらっしゃったですか?
父 ええ、お聞きしました。
米長 それはどうも。私のつたない話を。お宅には昭和50年に『ピシバニール』なる薬で大変お世話になりましてね、あれでわが家も立ち直ったんですよ。ありがとうございました(笑)。あの薬はガンに効くんだけど、私の場合は家に効いた。中外製薬の人にはいくらお礼を言っても足りないぐらいですよ。
父 いやあ、ハハハハ、そうですか。
米長 今、財務内容がものすごく良くなってるでしょう。
父 そうです。おかげさまで『ピシバニール』以来、会社の内容が非常にいいんですよね。
米長 労使関係も非常にうまくいって。
父 ええ(笑)。今は組合も一つにまとまりましてね。
米長 将棋連盟くらい良くなってる(笑)。あっ、それで大阪にいたんだ。
父 そうです。康光が小学1年生の時から。中学2年の時にこちらに来たんですよねえ。だから、7年間位大阪にいたんですね。
米長 最初は大阪の奨励会にいたんだよな(2級の時、東京に)。師匠とか兄弟の話をしてくれ。
佐藤 師匠は田中魁秀です。兄弟は3人、僕が一番上で、あと弟と妹がいます。
米長 弟さんは、将棋は指すの?
佐藤 いえ、やらないですね。
米長 子供の頃、一緒にやりそうなもんだけど。年が離れてるのかな。
佐藤 3つですけど。
母 覚えた時に、この子の方がすぐに強くなったものですから。
米長 お父さんはお指しになるんですか。
父 並べる程度ですね。
米長 ルールを知っていて、ちょっとやるという程度?
父 はい。
米長 で、魁秀さんの所に通ってたのか。
佐藤 はい。小学4年の時から。
米長 その前は?
佐藤 それまでは、アマチュアの先生の所に行ってました。
母 公民館の同好会みたいな所に。
佐藤四段は田中魁秀八段門下、17歳。前年度、つまり1986年度の最後の奨励会で四段に昇段、今期の順位戦にギリギリで間に合った。昇段の成績は13勝1敗、それも二段から三段に8連勝で上がって、そのまま続けてあげた成績。21勝1敗という恐るべき勢いで二段から四段に一気に駆け登った。住まいは東京都日野市。京王線の高幡不動駅から歩いて20分位。奨励会入会は1982年の秋で、これは羽生、森内らと同期。良きライバルとなっていきそうな三人である。
マジメな高校生
米長 君は塚田先生の若い頃に似てるね。
佐藤 ハア。
米長 塚田泰明じゃないよ。タイメイはカステラみたいな甘い顔してるけど。オヤジさんが文明堂だからな。塚田正夫先生に。言われた事ない?
佐藤 いえ、ないですねえ(笑)。
米長 寄せが鋭いんじゃないか。
佐藤 そんな事もないですけど。
米長 序盤、中盤、終盤、どれが得意?
佐藤 特に得意というのもないですけど。
米長 なにかあるだろう。詰将棋が得意だとか、序盤の研究が好きだとか。
佐藤 詰将棋が好きでよくやります。
米長 そうか。序盤の研究は?
佐藤 研究会とかで指した将棋で、その現れた局面を、帰ってからあれこれ研究するような感じですね。
米長 普段はどんな生活なのかな。朝は何時に起きるの?
佐藤 6時40分頃です。
米長 ずいぶん早いね。
佐藤 学校に行ってますから。
米長 あっ、そうか、高校生か。
佐藤 はい、3年生です。
米長 俺が高校3年の時は……三段だったんだなあ。1年の時に三段になって3年のときも三段だったんだ。次の年に四段になったのか。高校3年で、俺は婚約者がいたね。君は?
佐藤 いやあ(笑)。一応、募集中です。
米長 学校はどこだい。男子校かい?
佐藤 いえ、共学です。国学院高校で、千駄ヶ谷にあるんですけど。
米長 国学院!!国学院っていったら難しいんだろ。将棋指しの頭じゃ、なかなか入れないよ。
佐藤 (笑)。
米長 まあ、そんな事もないか。でも、結構、難しい学校だよね。一生懸命勉強して、国学院に入れたらいいなあ、と思ってる中学生がいっぱいいるんだから。将棋の片手間に入るんだから大変なもんだよね。フフフフ。とにかく、きわめて順調に来てるわけだ。親元にいて、将棋の道場に通って、奨励会に入って、学校にも行って、めでたく四段になって。えーと、四段になったのはいつだい。
佐藤 今年の3月25日です。
米長 じゃあ、もう、わずかながらも給料が出てるわけだ。給料、対局料はどうしてるの?
佐藤 全部、親に預けてます。
米長 ほう。全部預けて、高校生としての小遣いをもらっているわけだ。
佐藤 そうですね。
米長 それは非常にマジメだね。カネが入ったら、パーッとどこかへ飲みに行くとかじゃなくて、高校生らしい生活をしてるわけだ。棋士というよりも。
佐藤 そうですね。
米長 で、普段は家で研究してるわけだ。
佐藤 ええ、それから、研究会とか、将棋会館に行ったりする事も多いですね。
米長 ああ、そうか。学校の帰りに。ちょうどいい所にあったもんだね。もっとも千駄ヶ谷にあるから、そこにしたのか。
佐藤 そうです。
米長 そうだよな。それは利口だね。高校への進学は、自然に行く事になったの。
佐藤 そうですね。奨励会員でしたから。
米長 最近はどうなのかな。高校に行く人と行かない人とは、どっちが多いの?
佐藤 行ってる人の方が多いんじゃないですか。
米長 高校に行かせないのは古い頭のある一門ぐらいなもんか(笑)。
バイオリンから将棋に
米長 バイオリンが趣味だって聞いたんだけど……。
佐藤 ええ、奨励会に入る前まではやってたんですけど、入ってからは全然。今は1年に1回、弾くかどうかですね。
米長 たまに弾くことはあるんだ。
佐藤 妹がやってるんで、それでたまに。
米長 バイオリンは、ご両親がお好きなんですか?
父 いや、妻の方が熱心でして。あのう、鈴木慎一先生という人がいましてね、その人が、環境によると言うんですよ。日本人に生まれれば、自然に日本語を覚える。だから、小さい時から教育すればどんな子供でも伸びる、能力にはそんな差がないと言うんですよね。結局、あとは練習であると。一日何時間練習するかによってその能力が伸びる。そういう教育の仕方なんですよ。だから、皆、小さな頃から、やったんですよね。
米長 それは非常にいい事でしたね。
父 康光が将棋を覚えたのも、それがきっかけだったんです。夏期学校がいつも松本で行われるんですよ。4日間泊まり込みで行くんですけどね。小学2年生の時に、たまたま同じ部屋になった中学生の子がバイオリンより将棋が好きで将棋盤を持って来てたんですね。そこで興味を示したんですよ。それで帰りに松本で将棋盤を買いましてね。列車の中でやったんですね。それから好きになりました、ものすごく。自分で勉強するようになりまして、急激に強くなりましたね。
米長 大体、ルールを覚えた瞬間に”面白い!!”というのと”つまんない”という両極に分かれるんですよね。その時に決まりますよね。プロになるような人は、”これは面白い”と思ったんですよね。だから伸びるわけだよな。
父 そうですね。だから、家庭教育でも、子供が興味を示さなければダメですね、親がいくら一生懸命になっても。これは勉強でも何でも同じですね。
米長 やっぱり、ご両親の熱心さが実を結んだという事になりますね。
東京と大阪
米長 田中魁秀さんはあんまりうるさくないだろ。礼儀とがどうだとか、あれこれ。
佐藤 そうですね。優しいですね。
米長 まあ、大体、君は怒られそうもないよな、そういう点じゃ。
佐藤 あ、でも、教室とか手伝っていた時はたまに怒られました。それで、礼儀とかも少しは身に付いたと思います。
米長 大阪の奨励会から東京の奨励会に来て、何か感じた事はあったかい。
佐藤 全然感じが違うんで驚きました。
米長 大阪の方が、先輩後輩、奨励会と棋士の差というのがハッキリしているという感じがあるね。東京はなんか、みんな一緒という感じになっちゃってるけど。
佐藤 そうですね。
米長 俺も大阪の会館に行くと”ああ、俺はやっぱり将棋の先生だったんだな”という気がするね。奨励会員でも、尊敬のまなざしというか、気を遣ってくれてるような、そんな雰囲気があるのね。東京の場合はあいさつでも、ヘタしたらしないのまでいるしね、するにしても、なんか、アルバイトの青年が社長にちょっとあいさつするような、そんな感じのが多いんだよな。昔はそういう先輩後輩、棋士と奨励会の差というのは大変なもんだったんだよ。俺が内弟子の頃、升田三冠王が、佐瀬七段の家に来た事があったんだ。その時はもう、殿様と家来が話をしているような感じだったからね。また、奨励会でも、6級から見た初段というのも大変な差があるような感じだったんだ。そういうような所が、大阪はまだ少し残っているという感じがあるよね。君は大阪のいい所を持ち続けてるのかな。
佐藤 少し感染されてきてるかもしれないですね。
米長 先崎学という感じになってきたのか(笑)。
佐藤 そうですね(笑)。
(中略)
米長 四段になってから何局指したの?
佐藤 7局です(6勝1敗)。
米長 まだ、なったばかりなんだよな。これからだ。お父さんは中外製薬だし、お母さんは若々しくて美人だし、言う事ないよね。環境はいいし、マジメだし、頑張るだけなわけだ。順調にこのまま伸びたらいいんだよね。普通にやって伸びるから順調ってわけでね。普通の人はこうは行かないんだから。まあ、いずれは将棋界を背負って立つわけだからな。しっかりやってもらわないと。その時は俺の面倒をみてくれよ(笑)。
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近所の人たちも一緒に写真に写っているのが、とてもいい感じ。
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佐藤康光九段が育った家庭環境がとても素晴らしかったことがわかる。
このような、お父さんが大手企業のビジネスマンで、家庭教育の方針が明確で、普通なら大学進学→就職の道を進むケースが多くなると思うのだが、そうした中から棋士と歌舞伎役者(弟の市川段一郎さん)が生まれたというのは、ご両親が本当に子供が興味を持った分野を大事にしていたということだろう。
やはり理想的な家庭環境だ。
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「鈴木慎一先生という人がいましてね、その人が、環境によると言うんですよ。日本人に生まれれば、自然に日本語を覚える。だから、小さい時から教育すればどんな子供でも伸びる、能力にはそんな差がないと言うんですよ」
鈴木慎一さん(1898年-1998年)はヴァイオリニストであり、スズキ・メソードの創始者。
→「やり抜く力を育てる」 ~スズキ・メソードと日本将棋連盟、トップ対談(毎日メディアカフェ)
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佐藤 少し感染されてきてるかもしれないですね。
米長 先崎学という感じになってきたのか(笑)。
佐藤 そうですね(笑)。
この辺の機微が最高に面白い。