将棋マガジン1991年2月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。
将棋連盟は他の団体や会社とくらべて、時代に取り残されたといっていいほど変わっていないが、それでも20年前30年前とはずいぶん変わった。
たとえば、棋士同士のけんかがなくなった。昔はなぐり合いがよくあったものである。特に酒グセのわるい人が多く、子供心にも怖かった。ただし、この野郎!と一発なぐればお終いで、わだかまりは残らなかった。腕力のいちばん強いのは大内で、三段から四段五段のころは、よく左手をとばしたが、それでいて人望はいちばんあった。
米長少年も腕力が強そうだが、喧嘩はしなかった。そのかわり、やったらやり返すぞ、と肩をいからせている感じがあった。その不敵な面魂の少年をなぐって鍛えたのだから、佐瀬師匠もえらいものだ。
中原少年は喧嘩いさかいには関係ない存在。毒舌の芹沢青年は「オレは腕相撲はいちばん弱い」と予防線をはっていたっけ。なぐらないからなぐらないでくれよ、というわけ。
(以下略)
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「この野郎!と一発なぐればお終いで、わだかまりは残らなかった」
殴ったり殴られたりしたら、どうしたって尾を引くと思うのだが、昔は全般的にそうだったのか、あるいは棋士同士だけがそうだったのか、この辺の加減というか雰囲気が、よく理解できない。
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担任ではなかったが、中学2年の時の数学の教師が、すぐに生徒を殴る(平手打ち)人だった。
個人的には被害にあわなかったが、おかげで数学が好きな教科ではなくなってしまった。
それはともかく、ある日の昼休みの教室内、給食で余ったミカンでキャッチボールをしていた生徒が3~4人いた。すると、その先生がどこからか突然現れて、キャッチボールをしていた生徒全員を平手打ちに。
私は将棋をやっていて、こちらも怒られるかな、と覚悟を決めたのだが、「将棋はよろしい」と言って去っていった。
ホッとしたとともに、昼休みの遊びとしてはミカンでキャッチボールも将棋も、大して変わらないじゃないか、とも思ったものだった。