「私は夢は99%かなう可能性がなく、残り1%を追うものだという考えを持っている。なぜなら、努力すれば何とかなるなら、それは”目標”になるからだ」

このような自戦記も楽しい。このような自戦記がもっとあってもいい。

将棋マガジン1991年10月号、中井広恵女流王位の第14期女流王将戦A級リーグ(対 清水市代女流三段)自戦記「夢と目標」より。

 今年の夏はかなりいそがしかった。各地で行われる将棋まつりや日本シリーズでスケジュールが埋まってしまい、おかげで主人と8日間顔を合わせない時もあった。

 でも人間というのは本当にわがままな生き物だと思うのは、結婚前は一緒にいたいなぁと思っていたのに、最近では、たまには一人になりたいと思う事もある。

 まぁ、主人も私のそんな気持ちを察してか、麻雀で帰ってこない日があるので、結構自分の時間には不自由していないのだが……。

 札幌・大阪・長野・大宮と将棋まつりに出演したのだが、大阪近鉄将棋まつりで内藤先生の聞き手をさせていただいた時のこと。

 急に内藤先生が、

 ”どうして林葉、清水、中井はあんなに下ネタの話が好きなんや”

 とおっしゃるのだ。これもすべて林葉先生のおかげと感謝している。

 私はあわてて

”清水、中井は違います”

 と訂正したが、結婚してその手の話題が多くなったのは確かだ。誤解されては困るが、決して自分から話をしてるわけではない。人妻といってもまだ花もはじらう22歳なのだから、赤面してしまうような話題は勘弁してほしい。思わず喜んでしまうではないか……。

(中略)

 私はかなり不器用な人間だから、二つ以上の事を同時にできない。料理も今でこそミソ汁と野菜いためを一緒に作れるようになったが、それ以外はちょっとつらい。

 4月にマンションを購入し、引っ越しをしたのだが、その間何も手につかなかった。

 当然将棋の方がおろそかになり、研究会などはできるだけ参加するようにしたが、対局は集中力に欠け女流名人位戦前半を2勝3敗という最悪のスタートになってしまった。

 まあこれは言い訳にすぎないが。

 しかし、その中でも市代ちゃんと指した将棋は必勝の局面から王手竜取りをかけられるという、自分でも信じられない負け方をして、これが結構尾を引いた。

 しばらく将棋を指す気にはなれなかった。

(中略)

 今、研究会に入って勉強するのが主流となっているが、女流棋士にとってこれが一番良い方法だと思う。

 研究会に入っていれば、自分で相手を見つける必要がない。

 プロ棋士や奨励会員に、

”将棋教えてください”と言うのはちょっとした勇気がいる。

 私も何度か頼んだ事があるが、

”将棋はちょっと”

 とかわされる事も多かった。

 中には家に泊まった人が一宿一飯の恩義を感じて将棋を指してくれる。

 市代ちゃんに王手竜取りを喰った日も某関西棋士が家に泊まりにきていて、落ち込んでいる私に、

”将棋でも指しますか”

 と言ってくれた。

 普段こういってくれる人が少ないので、たまに言われるとうれしさのあまり、思わずその人に抱きつきたくなる。

 私にとって一番の誘い文句だろう。

(中略)

 先日、ある雑誌の編集者の方から”夢”という原稿を依頼された。今まで私の夢はプロ棋士の四段になる事だったが、奨励会を退会すると同時にその夢も儚く消えた。

 奨励会をやめて、1年が過ぎたが、その間、私は夢を持たずに生活していた。それは現在も続いている。

 私は夢は99%かなう可能性がなく、残り1%を追うものだという考えを持っている。なぜなら、努力すれば何とかなるなら、それは”目標”になるからだ。

 だから女流名人になるのが夢だと言った覚えは一度もない。タイトルを取る事は目標だったし、”絶対女流名人になるんだ”という強い意志もあったはずだから。

 そう考えてみると、いつもまにか私はすべての事を目標というものに置き換え、現実だけを追い続ける、文字どおり夢がない人間になってしまったのかと思うと、何だかさびしかった。

(中略)

 最近、主人が好調で将棋も麻雀も勝っている。この本が出る頃まで続いてほしいと思う。

 春から夏にかけては二人とも調子がいいのだが、夏バテがはじまり秋から冬はボロボロというパターンが多い。

 今秋またヨーロッパに行く予定があるので、気分よく海を渡りたい。

 去年は直子ちゃん達も一緒だったので心強かった?が、今年は二人なので不安だ。

 こんな時のために英会話も習いたかったなぁ……とよく後悔する。

 私はわりと趣味が多くて、何でもかじりたがる方だ。何でも興味を持ち、好奇心も強い。ただ「広く浅く」で、どれも中途半端が多い。

 気がつくとお金だけが減っている。

(中略)

 10月に神田真由美さんが結婚式をあげるが、女流棋士も適齢期となる乙女がわんさか?いる。

 年齢からいくと、関西の姐御(Kさん)がネクストバッターなのだが……。

 女流棋士同士で結婚の話をしても、市代ちゃんは簡単に口を割らない。将棋と同じでかわすのがうまい。

 品行方正な彼女は(他の女流棋士が悪いとは思わないように)上手なおつき合いをしてるに違いない。

(中略)

 縁がない女流王将戦だが、直子ちゃんも二冠持ってると対局が少ないらしい。

 女流王将リーグに戻って東京に来る機会を作り、大ファンの中原先生に会うチャンスを増やしてあげようというこの親友の心遣い、わかるでしょ。直子姫❤

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Wikipediaで野菜炒めをあらためて調べてみると、

ナス、キャベツ、タマネギ、モヤシ、人参、ピーマン、セロリ、ニラ、青梗菜、白菜、椎茸

が入るらしい。もちろん、このうちの数種類だけという野菜炒めがほとんどだろうが、個人的にはナスというのが意外だ。

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「市代ちゃんに王手竜取りを喰った日も某関西棋士が家に泊まりにきていて、落ち込んでいる私に、”将棋でも指しますか”と言ってくれた」

この某関西棋士は阿部隆五段(当時)であった可能性が高い。

「今、森内がウチに来てるんだよ。後から康光も来て、明日になれば郷ちゃんも来るんだけど」

植山悦行七段・中井広恵女流六段の家は、1990年代、若手棋士が何度も泊まりに行っていた。

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関西の姐御(Kさん)は、もちろん鹿野圭生女流1級(当時)のこと。

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「私は夢は99%かなう可能性がなく、残り1%を追うものだという考えを持っている。なぜなら、努力すれば何とかなるなら、それは”目標”になるからだ」

「そう考えてみると、いつもまにか私はすべての事を目標というものに置き換え、現実だけを追い続ける、文字どおり夢がない人間になってしまったのかと思うと、何だかさびしかった」

これは名言だと思う。たしかに、夢と目標は別のものだ。

自分がいつの間にか夢のない人間になっていることを自覚させられる。

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最後の3行は、ドキッとするような3行。