近代将棋1987年10月号、羽生善治四段(当時)の順位戦C級2組〔対 田辺一郎六段〕自戦記「うまく指せた一局」より。
昼食休憩の後、僕は千日手にすべきかどうか迷っていた。局面はA図。自分では少し模様がいいと思っていただけに千日手にはしたくなかったのですが、指し直しが先手になることや、消費時間が田辺六段の方が1時間多く使っているため、千日手にすることにしました。
(中略)
指し直し局も振り飛車を予想していたのですが、矢倉とは意外でした。そして、△5三銀右も予想外でした。自分はこのような急戦調の矢倉はあまりやったことがないので少し不安になりました。さて、普通の対局は午前10時から始まるのですが、午前中はまだ駒組みの段階のためか、雑談をしている先生もいますが、午後に入り、戦いが近づいてくると、口数も少なくなり、夜戦に入ると誰も口を利かなくなります。そしてこういう時間になると、順位戦を指している気分になります。
(中略)
ところで、田辺六段には、僕が小学生の頃、よく夏休みに開催される将棋まつりでお世話になった記憶があります。もっとも田辺六段の方は僕のことを覚えていないとは思いますが。将棋は入玉が得意という一風変わっています。このあたりは消費時間の差があるので、田辺六段は比較的早指しです。
(中略)
そして迎えた5図。仕掛けるべきか、一回待つべきか迷いました。対局室からは、新宿の高層ビル群の夜景が見えますが、もうそれを見る余裕もなくなって来ました。
(中略)
これに対して△2三玉として来ました。この手の意味は攻めを催促し、場合によっては入玉を狙う意味です。田辺六段は入玉を得意とされているので少し嫌な気分になりました。そして、仕掛けたのは失敗だったかもしれないと弱気な気持ちになりました。今、冷静に考えてみるとそれほど悪いとは思えません。実戦心理とは不思議なものです。そして、対局中は飛角銀桂香で攻めているのだから、悪いはずがないと、自分を勇気づけました。
(中略)
△3七銀に対して▲5七金と応援部隊を送ります。以下田辺六段も頑張られましたが、何とか寄せ切ることができました。
(中略)
これで2勝目をあげることができました。田辺六段にとっては大変不本意な将棋だったと思います。投了図の田辺六段の飛車がそれを物語っているようです。これで、とりあえずほっとして夏休みを迎えることができます。
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「夜戦に入ると誰も口を利かなくなります。そしてこういう時間になると、順位戦を指している気分になります」
昔は対局中の雑談も珍しくなかったので、四季の移り変わりのごとく、時間帯によって対局室の風情も変わっていったのだろう。
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「もっとも田辺六段の方は僕のことを覚えていないとは思いますが」
このような場合、「僕のことを覚えていますか?」と聞くのも微妙に変なので、なかなか真相にはたどり着けないものである。
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「対局中は飛角銀桂香で攻めているのだから、悪いはずがないと、自分を勇気づけました」
対局中に自信がない場面でも、この言葉(香はなくても構わない)を思い出せば、勇気が出てきそうだ。
本当に飛角銀桂を使って攻めている場合に限られるが。
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「これで、とりあえずほっとして夏休みを迎えることができます」
羽生善治四段(当時)は高校2年生。
対局と学校の両方をこなしていたわけなので、学校が長期の休みとなる夏休みには、格別な思いがあったかもしれない。