色紙が招いたタイトル戦カド番からの大逆転

近代将棋1988年11月号、湯川博士さんの書評エッセー「大山康晴十五世名人 我が出会い」より。

 王将戦で挑戦者山田道美が大山を3勝1敗と追い込んだ時のこと。

 銀波荘の主人が山田に色紙を頼んだ時、「今書くのはどうも気が乗らない。これが終わったら書いて送ります」

 これを聞いた大山はこう思った。今書けば『八段 山田道美』だが、あと1勝すれば『王将 山田道美』である。山田は勝ったつもりになっている。そこに心の隙がある。自分はあと1敗も出来ぬ瀬戸際だが、相手にはおごりと勝とうという焦りがある。これは頑張りがいがありそうだ。

 大山は第5、第6、第7局と、頑張り精神を発揮して、焦りの生じた山田を大逆転でうっちゃった。

 銀波荘で気軽に『八段 山田道美』と一枚書いておけば、山田王将が誕生していたかと思うと、実に面白いエピソードだ。

(以下略)

* * * * *

「今書くのはどうも気が乗らない。これが終わったら書いて送ります」は、勝負師らしい気の強さ。山田道美八段(当時)の闘志の発露だったかもしれない。

これを聞けば、対局相手は怒りの心に支配され、メラメラと逆襲の心が燃え上がり対局にも悪影響が出そうなものだが、そこは大山康晴十五世名人。

もちろん「なにくそ」という気持ちは起きただろうが、「山田は勝ったつもりになっている。そこに心の隙がある」という見抜く大山十五世名人の慧眼。

「雉も鳴かずば撃たれまい」という結果にしてしまったわけだ。